法句経 / 第二十六 婆羅門の部 四一三〜四一五 翳りなき月
四一三 月の翳り無く、淨く澄み、明なる如く、變化的生存の愛已に盡きたる人を我は婆羅門と謂ふ。 四一四 人若し此の敵と險道と輪廻と癡を越え、已に渡り、彼岸に達し、靜慮し、欲なく、疑なく、所取なく、安穩なれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一五 人若し現世に於て諸欲を斷ち、家を捨てて遍歴し、欲の存在を盡せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。
新字:四一三 月の翳り無く、浄く澄み、明なる如く、変化的生存の愛已に尽きたる人を我は婆羅門と謂ふ。 四一四 人若し此の敵と険道と輪廻と痴を越え、已に渡り、彼岸に達し、静慮し、欲なく、疑なく、所取なく、安穏なれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一五 人若し現世に於て諸欲を断ち、家を捨てて遍歴し、欲の存在を尽せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。
書き下し
四一三 月の翳り無く、浄く澄み、明なる如く、変化的生存の愛已に尽きたる人を我は婆羅門と謂ふ。 四一四 人若し此の敵と険道と輪廻と痴を越え、已に渡り、彼岸に達し、静慮し、欲なく、疑なく、所取なく、安穏なれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一五 人若し現世に於て諸欲を断ち、家を捨てて遍歴し、欲の存在を尽せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。
現代語訳
月が翳りなく、浄く澄んで明るいように、移り変わる生存への渇愛がすでに尽きた人を、私は婆羅門と呼ぶ。もし人が、この敵(貪りなど)と険しい道(煩悩)と輪廻と愚かさとを越え、すでに渡り終えて彼岸に達し、静かに瞑想し、欲なく、疑いなく、執著なく、安らかであるならば、その人を私は婆羅門と呼ぶ。もし人がこの世において諸々の欲を断ち、家を捨てて遍歴し、欲による生存を尽くしたならば、その人を私は婆羅門と呼ぶ。
解説
関連する章句
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 四一六〜四一八 人の軛と神の軛四一六 人若し現世に於て愛を断ち、家を捨てて遍歴し、愛の存在を尽せば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一七 人の軛を断ち、神の軛を超え、一切軛の束縛を離るれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一八 楽と不楽とを捨て、清涼に、変化的生存の素因なく、一切世間に勝つ勇者を我は婆羅門と謂ふ。
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 四一〇〜四一二 福と罪とに執せず四一〇 人若し今世又は後世を希はず、希望なく、束縛を離るれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一一 人若し愛著なく、(諦理を)知つて疑なく、甘露の源底に達すれば、彼を我は婆羅門と謂ふ。 四一二 人若し此の世に於て福と罪と両ながら執するを息め、憂なく、貪を離れ、清浄なれば彼を我は婆羅門と謂ふ。
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 四〇一〜四〇三 蓮の葉の上の水四〇一 藕葉の上の水の如く、針端の芥子の如く、欲に染らざる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇二 人あり現世に於てすら己の苦の尽を遍知し、重担を下し、繋を離るれば、我は彼を婆羅門と謂ふ。 四〇三 甚深の慧を具し、聡明に、道非道に通達し、最上義を得たる人を我は婆羅門と謂ふ。
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 三八六〜三八八 静慮して照る三八六 静慮し、離貪し、堅住し、已に所作を作し、心の穢なく、最上義を獲得せる人を我は婆羅門と謂ふ。 三八七 日は昼に照り、月は夜を照らし、兵は甲を擐して照り、婆羅門は静慮して照り、仏は威光を以て一切迷妄の闇を照らす。 三八八 諸悪を去るが故に婆羅門なり、寂静行のゆゑに沙門と謂はる、己の垢を除遣せるが故に出家と謂はる。
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 三八三〜三八五 勇敢に流れを截れ三八三 勇敢に流を截れ、欲を除け、婆羅門よ、変化の滅尽を知り了りて汝は無作を知る、婆羅門よ。 三八四 婆羅門あり、若し二法の彼岸に達しぬれば此の智者の一切の繋縛は滅尽す。 三八五 彼岸も非彼岸も彼岸非彼岸もなき無畏無繋縛の人を我は婆羅門と謂ふ。
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『法句経』第二十六 婆羅門の部 三九八〜四〇〇 紐と帯と縄を断つ三九八 紐と、帯と、縄と其の附属とを断ち、障壁を毀ち、覚悟せる人を我は婆羅門と謂ふ。 三九九 悪を作さざるに、罵詈、打擲、又は繋縛を忍受し、忍力を具し、其力にて能く耐ゆる人を我は婆羅門と謂ふ。 四〇〇 忿なく、禁を守り、戒を持し、欲なく、調御して最後身なる人を我は婆羅門と謂ふ。
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