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法句経 / 第二十四 愛欲の部 三五〇〜三五二 最後の身

三五〇 尋思の寂靜を樂ひ、恆に熟慮し不淨を觀ずる人は必ず魔の縛を滅せん、彼は(魔の縛を)斷たん。 三五一 究竟に到りて懼れず、愛を離れて罪垢なく、有の箭の斷つ是れ最後の身なり。 三五二 愛欲を離れ、取なく、詞の訓釋に通達し、字の合集と(字の)前後とを知る人あらば、其の人こそ最後身を有する大慧者と謂はる。

新字:三五〇 尋思の寂静を楽ひ、恒に熟慮し不浄を観ずる人は必ず魔の縛を滅せん、彼は(魔の縛を)断たん。 三五一 究竟に到りて懼れず、愛を離れて罪垢なく、有の箭の断つ是れ最後の身なり。 三五二 愛欲を離れ、取なく、詞の訓釈に通達し、字の合集と(字の)前後とを知る人あらば、其の人こそ最後身を有する大慧者と謂はる。

書き下し

三五〇 尋思の寂静を楽ひ、恒に熟慮し不浄を観ずる人は必ず魔の縛を滅せん、彼は(魔の縛を)断たん。 三五一 究竟に到りて懼れず、愛を離れて罪垢なく、有の箭の断つ是れ最後の身なり。 三五二 愛欲を離れ、取なく、詞の訓釈に通達し、字の合集と(字の)前後とを知る人あらば、其の人こそ最後身を有する大慧者と謂はる。

現代語訳

思いめぐらしが静まることを楽しみ、常によく考え、不浄(身体の汚れ)を観じる人は、必ず魔の縛りを滅ぼすだろう。彼は(魔の縛りを)断ち切るだろう。究極に到って恐れず、愛欲を離れて罪の汚れがなく、生存の矢を断ち切った。これが最後の身である。愛欲を離れ、執着がなく、言葉の解釈に通じ、文字の組み合わせと(文字の)前後とを知る人があれば、その人こそ最後の身をもつ大いなる智慧の人と言われる。

解説

愛欲の部の後半、縛りから解き放たれた者の姿を描く三偈である。三五〇は直前の偈と対になり、尋思に乱される人の縛りが堅くなるのに対し、尋思の静まりを楽しむ人は魔の縛りを断つという。三五一の「有の箭」は、生存へと人を駆り立てる渇愛を矢に喩えたもので、それを抜き去った者はもう生まれ変わらない。これが最後の身だ、と古代インドの輪廻観の言葉で言う。三五二は意外にも、大慧者の条件に言葉の解釈と文字の組み合わせを知ることを挙げる。荻原の注によれば、初めの字を聞けば中と後の字を聞かずとも了解することで、言葉の全体を一挙につかむ力をいう。愛欲を離れることと言葉に通じることが並べられているのは、執着のない心が相手の言葉をまっすぐ受け取れるからとも読める。先入観を持たずに聞く人ほど、少ない言葉から多くを汲み取る。

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