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法句経 / 第二十三 象の部 三二六・三二七 鉤を執りて酔象を

三二六 此の心は前には好む所に行けり、欲に隨つて、樂に應じて、(されど)今は我、此を全く制御せん、鉤を執る人が醉象を(制御するが)如くに。 三二七 汝等不放逸を樂め、自心を護れ、難處より己を救へ、淤泥に溺れたる象の如くに。

新字:三二六 此の心は前には好む所に行けり、欲に随つて、楽に応じて、(されど)今は我、此を全く制御せん、鉤を執る人が酔象を(制御するが)如くに。 三二七 汝等不放逸を楽め、自心を護れ、難処より己を救へ、淤泥に溺れたる象の如くに。

書き下し

三二六 此の心は前には好む所に行けり、欲に随つて、楽に応じて、(されど)今は我、此を全く制御せん、鉤を執る人が酔象を(制御するが)如くに。 三二七 汝等不放逸を楽め、自心を護れ、難処より己を救へ、淤泥に溺れたる象の如くに。

現代語訳

この心は、以前は好むところへ、欲望のままに、楽しみに応じて、さまよい歩いた。しかし今、私はこれを完全に制御しよう。ちょうど鉤(象を御する突き棒)を手にした象使いが、発情して猛る象を制御するように。あなたたちは怠らないことを楽しめ。自分の心を護れ。困難な場所(煩悩)から自分を救い出せ。泥沼にはまった象が自ら抜け出すように。

解説

象の部の中心となる二偈である。三二六は、心を酔象に、自分を鉤を執る象使いに喩える。荻原の注によれば、酔象とは交尾期に入り猛り狂う象のことで、ふだんは従順な象も手がつけられなくなる。心もかつては欲のまま楽しみのままにさまよっていたが、今はこれを御する、と。力で押さえ込むのではなく、鉤という小さな道具と技で巨体を導く姿が浮かぶ。三二七は視点を変え、象は泥沼に沈んだ側になる。「難処」は煩悩の離れがたさの喩えで、泥に足を取られた象は、もがくほど沈むが、自らの力で這い上がるしかない。御する者としての自分と、救われる者としての自分が、同じ象の比喩の両面に置かれている。感情に振り回された経験のある人ほど、心を相手にするには腕力より技が要ることを知っているだろう。

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