法句経 / 第二十二 地獄の部 三一九 避くべきを避くべきと知る
三一九 正見を懷き、避くべきを避くべきと知り、又避くべからざるを避くべからずと知る有情は善趣に生る。
新字:三一九 正見を懐き、避くべきを避くべきと知り、又避くべからざるを避くべからずと知る有情は善趣に生る。
書き下し
三一九 正見を懐き、避くべきを避くべきと知り、又避くべからざるを避くべからずと知る有情は善趣に生る。
現代語訳
正しい見方を抱き、避けるべきことを避けるべきだと知り、また避けなくてよいことを避けなくてよいと知る生きものは、善い境涯に生まれる。
解説
地獄の部を締めくくる一偈で、直前の邪見の三偈に対する答えとして置かれている。邪見の側では、羞恥・畏れ・避けることの三つについて取り違えが語られたが、正見の側は避けることの一つだけで結ばれる。正見は、のちに八正道の第一に数えられる、物事をありのままに見る目である。注目したいのは、正見の中身が「避くべきを避くべきと知る」だけでなく、「避くべからざるを避くべからずと知る」ことまで含む点だ。避けるべきものを避けるのは当然として、避けなくてよいものまで避けてしまうのもまた見誤りである。慎重さが過ぎて、挑むべき場面から退くことも、この経の目には狂った物差しに映る。リスクを避ける判断と、避けなくてよいものを見極める判断は、同じ一つの目から生まれる。
関連する章句
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