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法句経 / 第二十二 地獄の部 三一六〜三一八 羞づべきに羞ぢず

三一六 邪見を懷き、羞づべからざるを羞ぢ、羞づべきに羞ぢざる有情は惡趣に生る。 三一七 邪見を懷き、畏るべからざるに畏を見、又畏るべきに畏を見ざる有情は惡趣に生る。 三一八 邪見を懷き、避くべからざるに避くべしと謂ひ、又避くべきを避くべからずと見る有情は惡趣に生る。

新字:三一六 邪見を懐き、羞づべからざるを羞ぢ、羞づべきに羞ぢざる有情は悪趣に生る。 三一七 邪見を懐き、畏るべからざるに畏を見、又畏るべきに畏を見ざる有情は悪趣に生る。 三一八 邪見を懐き、避くべからざるに避くべしと謂ひ、又避くべきを避くべからずと見る有情は悪趣に生る。

書き下し

三一六 邪見を懐き、羞づべからざるを羞ぢ、羞づべきに羞ぢざる有情は悪趣に生る。 三一七 邪見を懐き、畏るべからざるに畏を見、又畏るべきに畏を見ざる有情は悪趣に生る。 三一八 邪見を懐き、避くべからざるに避くべしと謂ひ、又避くべきを避くべからずと見る有情は悪趣に生る。

現代語訳

誤った見方を抱き、恥じなくてよいことを恥じ、恥じるべきことを恥じない生きものは、悪しき境涯に生まれる。誤った見方を抱き、恐れなくてよいものに恐れを見、また恐れるべきものに恐れを見ない生きものは、悪しき境涯に生まれる。誤った見方を抱き、避けなくてよいことを避けるべきだと思い、また避けるべきことを避けなくてよいと見る生きものは、悪しき境涯に生まれる。

解説

地獄の部の終わりに並ぶ四偈のうち、邪見を説く三偈である。同じ型が三度繰り返され、羞恥、畏れ、避けることの三つについて、判断の取り違えが語られる。恥じなくてよいことを恥じ、恥じるべきことを恥じない。恐れなくてよいものを恐れ、恐れるべきものを恐れない。ここで問われているのは、恥や恐れの感情を持つかどうかではなく、その向け先である。人は恥も恐れも十分に持っている。ただ、それが逆さまに向いている。邪見とは、特定の誤った教説というより、この物差しの狂いそのものを指している。悪趣とは、古代インドの世界観で地獄・餓鬼・畜生などの苦しい生まれをいう。失敗を恥じて報告しない一方で、隠すことは恥じない——組織の中でもこの取り違えは珍しくない。自分が何を恥じ、何を恐れているかを点検する材料になる。

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