法句経 / 第二十二 地獄の部 三一二 大果を得ず
三一二 作業怠慢に、所守雜染に、梵行嫌疑あるは(何れも)大果を得ず。
新字:三一二 作業怠慢に、所守雑染に、梵行嫌疑あるは(何れも)大果を得ず。
書き下し
三一二 作業怠慢に、所守雑染に、梵行嫌疑あるは(何れも)大果を得ず。
現代語訳
務めにおいて怠り、守るべきことにおいて汚れがあり、清らかな行い(梵行)に疑わしいところがある者は、いずれも大きな果報を得ない。
解説
茅草の比喩のすぐ後に置かれた一偈である。前の偈が「勤苦も悪用せられなば」と努力の向け先の誤りを言ったのを受けて、ここでは大きな実りを得られない三つの姿を挙げる。一つは作業、つまり為すべき務めを怠ること。二つ目は所守、守るべき戒めや誓いに汚れが混じること。三つ目は梵行、清らかな修行の暮らしに人から疑われるところがあることである。いずれも大きな悪ではなく、日常の小さな緩みにすぎない。だが経は、それらが積もれば大果を得ないと言い切る。とりわけ三つ目は、実際に悪をしたかどうかではなく、疑われる余地があるかを問うている点で厳しい。信頼は実質だけでなく、疑いを生まない振る舞いによっても支えられている。大きな成果を妨げるのは、大きな失敗より小さな緩みの積み重ねなのかもしれない。
関連する章句
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