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法句経 / 第二十 道の部 二八〇〜二八二 観行より智を生ず

二八〇 起くべき時に起きず、壯く、強くして、懶惰に思惟思量に弱く、懈たり、怠る人は、慧に由つて道を知ることなし。 二八一 語を愼しみ、意を護り、身に不善を造らず、此の三業道を淨めよ、(大)仙所説の道を得ん。 二八二 實に觀行より智を生ず、不觀行より智を盡す、此の利と不利との二の道を知り自ら修して智を増さしむべし。

新字:二八〇 起くべき時に起きず、壮く、強くして、懶惰に思惟思量に弱く、懈たり、怠る人は、慧に由つて道を知ることなし。 二八一 語を慎しみ、意を護り、身に不善を造らず、此の三業道を浄めよ、(大)仙所説の道を得ん。 二八二 実に観行より智を生ず、不観行より智を尽す、此の利と不利との二の道を知り自ら修して智を増さしむべし。

書き下し

二八〇 起くべき時に起きず、壮く、強くして、懶惰に思惟思量に弱く、懈たり、怠る人は、慧に由つて道を知ることなし。 二八一 語を慎しみ、意を護り、身に不善を造らず、此の三業道を浄めよ、(大)仙所説の道を得ん。 二八二 実に観行より智を生ず、不観行より智を尽す、此の利と不利との二の道を知り自ら修して智を増さしむべし。

現代語訳

起きるべき時に起きず、若く力があるのに怠惰で、思いも考えも弱く、なまけ、怠る人は、智慧によって道を知ることがない。言葉を慎み、心を護り、身体で不善をなさず、この三つの行いの道を清めよ。そうすれば大仙(仏陀)の説いた道を得るであろう。まことに、観行(心を観じる修行)から智慧が生じ、観行をしないことから智慧は尽きる。この得と損との二つの道を知って、自ら修めて智慧を増すようにせよ。

解説

「道の部」の中ほどで、道を知ることを妨げるものと、道を得る方法とが並べられる。二八〇偈の怠け者の描写は具体的だ。起きるべき時に起きない。若く力もあるのに、考えることに力が入らない。能力がないのではなく、あるのに使わない人が問題にされている。二八一偈の「三業」は身・口・意の三つの行いで、言葉と心と身体をそれぞれ清めよという。二八二偈の「観行」は、原語では瞑想修行(ヨーガ)にあたる語とされ、心を見つめる実践を指す。実践から智慧が生まれ、実践しなければ智慧は減っていく。智慧は一度得たら持ち続けられるものではなく、使わなければ衰える筋肉のようなものとして描かれている。知識や技能も同じで、手を動かし続けなければ目減りしていく。若さと体力だけで道が開けるわけではない。

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