不動智神妙録 / 諸仏不動智
諸佛不動智と申す事は、不動とはうごかずといふ文字にて候、智は智惠の智にて候、不動と申し候ても、石か木かのやうに無性なる義理にてはなく候、向ふへも左へも右へも、十方八方へ心は動き度きやうに動きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候、
新字:諸仏不動智と申す事は、不動とはうごかずといふ文字にて候、智は智恵の智にて候、不動と申し候ても、石か木かのやうに無性なる義理にてはなく候、向ふへも左へも右へも、十方八方へ心は動き度きやうに動きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候、
書き下し
諸仏不動智と申す事は、不動とはうごかずといふ文字にて候、智は智恵の智にて候、不動と申し候ても、石か木かのやうに無性なる義理にてはなく候、向ふへも左へも右へも、十方八方へ心は動き度きやうに動きながら、卒度も止まらぬ心を不動智と申し候、
現代語訳
諸仏不動智というのは、不動とは動かないという文字です。智は智慧の智です。不動と言っても、石や木のように心のない状態を言うのではありません。向こうへも、左へも、右へも、十方八方へ、心は動きたいように動きながら、少しもとどまらない心を不動智と言うのです。
解説
不動という言葉から、何事にも動じず固まった心を想像しがちだが、沢庵ははっきり否定する。石や木のように反応しないことではない。四方八方へ自在に動きながら、どこにもとどまらない心こそが不動智だという。動かないのではなく、とどまらない。この逆説がこの書全体を貫いている。どんな状況にもしなやかに応じながら、何かに振り回されない在り方は、変化の激しい環境で働くリーダーに求められる姿そのものである。
この章句が説くこと
不動智智慧しなやかさ自在とどまらない心沢庵
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