法句経 / 第十七 忿怒の部 二二七〜二三〇 毀られざる人なし
二二七 阿覩羅よ、此れ古より言ふ所、今日に始まるに非ず、(謂く)人は默して坐するを毀り、多言を毀り、少言をも亦毀る、世に毀られざる人なし。 二二八 已に有らず、又當に有らず、又現に有らず、一向に毀られたる人、或は一向に讚められたる人。 二二九 若し智者が判斷して日々稱讚するなれば、彼は行缺くることなく聰敏にして慧戒具足し、 二三〇 閻浮陀金の莊嚴具の如し、誰か彼を毀り得んや、諸神も彼を讚す、梵天すら彼を讚す。
新字:二二七 阿睹羅よ、此れ古より言ふ所、今日に始まるに非ず、(謂く)人は黙して坐するを毀り、多言を毀り、少言をも亦毀る、世に毀られざる人なし。 二二八 已に有らず、又当に有らず、又現に有らず、一向に毀られたる人、或は一向に讃められたる人。 二二九 若し智者が判断して日々称讃するなれば、彼は行欠くることなく聰敏にして慧戒具足し、 二三〇 閻浮陀金の荘厳具の如し、誰か彼を毀り得んや、諸神も彼を讃す、梵天すら彼を讃す。
書き下し
二二七 阿覩羅よ、此れ古より言ふ所、今日に始まるに非ず、(謂く)人は黙して坐するを毀り、多言を毀り、少言をも亦毀る、世に毀られざる人なし。 二二八 已に有らず、又当に有らず、又現に有らず、一向に毀られたる人、或は一向に讃められたる人。 二二九 若し智者が判断して日々称讃するなれば、彼は行欠くることなく聡敏にして慧戒具足し、 二三〇 閻浮陀金の荘厳具の如し、誰か彼を毀り得んや、諸神も彼を讃す、梵天すら彼を讃す。
現代語訳
アトゥラよ、これは昔から言われていることで、今日に始まったことではない。人は黙って坐っている者をそしり、多く語る者をそしり、少し語る者もまたそしる。世にそしられない人はいない。ただひたすらそしられるだけの人、あるいはただひたすらほめられるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないだろうし、今もいない。もし智慧ある者がよく見きわめたうえで日々ほめたたえるならば、その人は行いに欠けたところがなく、聡明で、智慧と戒をそなえている。閻浮陀金(最上の黄金)で作った飾りのようなその人を、誰がそしることができよう。神々もその人をほめ、梵天(古代インドの最高神)でさえその人をほめたたえる。
解説
関連する章句
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