法句経 / 第十七 忿怒の部 二二四〜二二六 実を語れ、忿る勿れ
二二四 實を語れ、忿る勿れ、乞はるゝときは(己の物)少なしと雖も之を與へよ、此の三事によりて天處に往くを得ん。 二二五 諸の賢人若し常に身を護り、害せざるときは、不死の處に往く、往き已りて愁へず。 二二六 人恆に覺寤し、晝夜に勤學し、涅槃を信解すれば(彼の)心穢は滅盡す。
新字:二二四 実を語れ、忿る勿れ、乞はるゝときは(己の物)少なしと雖も之を与へよ、此の三事によりて天処に往くを得ん。 二二五 諸の賢人若し常に身を護り、害せざるときは、不死の処に往く、往き已りて愁へず。 二二六 人恒に覚寤し、昼夜に勤学し、涅槃を信解すれば(彼の)心穢は滅尽す。
書き下し
二二四 実を語れ、忿る勿れ、乞はるゝときは(己の物)少なしと雖も之を与へよ、此の三事によりて天処に往くを得ん。 二二五 諸の賢人若し常に身を護り、害せざるときは、不死の処に往く、往き已りて愁へず。 二二六 人恒に覚寤し、昼夜に勤学し、涅槃を信解すれば(彼の)心穢は滅尽す。
現代語訳
真実を語れ。怒るな。求められたときは、自分の持ち物が少なくても与えよ。この三つのことによって天の世界に往くことができるだろう。賢い人々が常に身を慎み守り、他を害さないならば、不死の境地(涅槃)に往き、往き着いてからは憂えることがない。人が常に目覚めていて、昼も夜も学びに励み、涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)を信じ理解するならば、その人の心の汚れは滅び尽きる。
解説
第十七章「忿怒の部」の中ほどに置かれた三偈で、怒りを戒める章が、ここで怒らないための日々の実践へと話を広げる。二二四偈の三事は、真実を語る、怒らない、乞われたら少なくても与える、の三つである。いずれも特別な修行ではなく、日常の小さな振る舞いだ。「少なしと雖も」の一句が効いている。余っているから与えるのではなく、少ないなかから分けるところに意味がある。二二五偈では行き先が「天処」から「不死の処」へ、二二六偈では「心穢の滅尽」へと、段を踏んで深まっていく。天に生まれるのは古代インドの世界観で善行の報いとされるものだが、この経はさらにその先を示す。その入口が、正直と、怒らないことと、分け合うことだという。大きな改革より、日々の言葉と態度のほうが組織の空気を決めているのかもしれない。
関連する章句
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