法句経 / 第十七 忿怒の部 二二一 忿を棄てよ
二二一 忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦隨ふことなし。
新字:二二一 忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦随ふことなし。
書き下し
二二一 忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦随ふことなし。
現代語訳
怒りを捨てよ。慢心を離れよ。一切の束縛(結、煩悩)を越えよ。精神と物質とに執着しない、何ものも所有しない人には、もろもろの苦しみが付き従うことはない。
解説
第十七章「忿怒の部」の冒頭の偈である。怒りを捨てよ、慢心を離れよ、一切の結を越えよと、三つの命令が畳みかけられる。荻原の注によれば、「結」は人を縛りつけるもの、すなわち煩悩である。そして「精神と物質」は、パーリ語のナーマ・ルーパ(名色)で、心の働きと身体を含めた、人を成り立たせる一切を指す。そのどちらにも執着しない「無所有の人」には苦が付き従わない、と結ぶ。第一偈で「苦の彼に随ふこと猶ほ車輪の此を牽くものに随ふが如し」と語られた苦が、ここでは付き従うことがないとされる。怒りを章の入口に置き、その怒りの根を慢心と執着に見ていることに注意したい。怒りは、自分が正当に扱われていないという思いから生まれることが多い。その思いの手前にある慢心を点検することが、怒りを鎮める近道かもしれない。
関連する章句
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