法句経 / 第十七 忿怒の部 二二二・二二三
二二二 若し人已に發せる忿を制すること奔車を(止むるが)如くなれば、彼を我は御者と言ふ、爾らざる人は(唯だ)韁を取る(のみ)。 二二三 不忿を以て忿に勝て、善を以て不善に勝て、施を以て慳に勝て、實語を以て妄語者に(勝て)。
新字:二二二 若し人已に発せる忿を制すること奔車を(止むるが)如くなれば、彼を我は御者と言ふ、爾らざる人は(唯だ)韁を取る(のみ)。 二二三 不忿を以て忿に勝て、善を以て不善に勝て、施を以て慳に勝て、実語を以て妄語者に(勝て)。
書き下し
二二二 若し人已に発せる忿を制すること奔車を(止むるが)如くなれば、彼を我は御者と言ふ、爾らざる人は(唯だ)韁を取る(のみ)。 二二三 不忿を以て忿に勝て、善を以て不善に勝て、施を以て慳に勝て、実語を以て妄語者に(勝て)。
現代語訳
もし人が自分に起こった怒りを、走る車を止めるように制することができるなら、その人を私は御者と呼ぼう。そうでない人は、ただ手綱を握っているだけである。怒らないことによって怒りに勝て。善によって不善に勝て。施しによって物惜しみに勝て。真実の言葉によって嘘をつく者に勝て。
解説
二二二の比喩は的確である。手綱を握っているだけでは御者ではない。走り出した車を止められて初めて御者と呼ばれる。怒りが起こらないことではなく、起こった怒りを止められるかどうかが基準になっている。感情を持たない人が偉いのではない。二二三は四つの対を並べる。不忿で忿に、善で不善に、施で慳に、実語で妄語に勝て。同じもので返さない、という一つの原則を四通りに展開している。怒りには怒りで、嘘には嘘で応じるのが自然な反応だが、それでは相手の土俵に乗ることになる。第一章の「怨は怨にて息まず」と同じ構えが、ここでは具体的な四場面に落とされている。
この章句が説くこと
奔車を止むる御者と手綱不忿を以て忿に勝つ同じもので返さない
関連する章句
-
『法句経』第十七 忿怒の部 二二一 忿を棄てよ二二一 忿を棄てよ、慢を離れよ、一切の結を越えよ、精神と物質とに著せざる無所有の人に諸苦随ふことなし。
-
『法句経』第十七 忿怒の部 二二四〜二二六 実を語れ、忿る勿れ二二四 実を語れ、忿る勿れ、乞はるゝときは(己の物)少なしと雖も之を与へよ、此の三事によりて天処に往くを得ん。 二二五 諸の賢人若し常に身を護り、害せざるときは、不死の処に往く、往き已りて愁へず。 二二六 人恒に覚寤し、昼夜に勤学し、涅槃を信解すれば(彼の)心穢は滅尽す。
-
『法句経』第一 双叙の部 三〜五三 彼れ我を罵り、我を打ち、我を破り、我を掠めたりと堅く執する人の怒は息むことなし。 四 彼れ我を罵り、我を打ち、我を破り、我を掠めたりと堅く執せざる人の怒は止息に帰す。 五 世の中に怨は怨にて息むべきやう無し。無怨にて息む、此の法易はることなし。
-
『法句経』第十七 忿怒の部 二三一〜二三四二三一 身の怒を護れ、身を覆護すべし、身悪行を捨てて身にて妙行を行へ。 二三二 語の怒を護れ、語を覆護すべし、語悪行を捨てて語にて妙行を行へ。 二三三 意の怒を護れ、意を覆護すべし、意悪行を捨てて意にて妙行を行へ。 二三四 身を護り又語を護る賢人は、(又)意を護る賢人は実に能く護れるなり。
-
『法句経』第二十六 婆羅門の部 三八九〜三九一 婆羅門を打つなかれ三八九 婆羅門を打たざれ、(打たれたる)婆羅門は(打ちたる人に)向はざれ、いかで婆羅門を打たんや、況やいかで(打ちたる)人に向はんや。 三九〇 所愛に対して心を抑止するは是れ婆羅門の少なからざる勝事なり、傷害の意輟むに応じてそれだけの苦即ち滅す。 三九一 身と語と意にて悪を造らずして(此の)三処を護る人を我は婆羅門と謂ふ。
-
『法句経』第十 刀杖の部 一三三・一三四一三三 決して麤語すべからず、語られたる者は亦汝に(斯く)答へなん、怒れる語は苦なり、治罰反つて汝に来らん。 一三四 毀れたる磬の(音を発することなきが)如く己を発動すること無ければ、汝はこれ已に涅槃を得たるなり、汝に諍訟あることなし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る