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法句経 / 第十六 愛好の部 二一四〜二一六 愛より憂を生ず

二一四 愛樂より憂を生じ、愛樂より畏を生ず、愛樂を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。 二一五 愛欲より憂を生じ、愛欲より畏を生ず、愛欲を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。 二一六 渇愛より憂を生じ、渇愛より畏を生ず、渇愛を離れたる人に憂なし、何の處にか畏あらん。

新字:二一四 愛楽より憂を生じ、愛楽より畏を生ず、愛楽を離れたる人に憂なし、何の処にか畏あらん。 二一五 愛欲より憂を生じ、愛欲より畏を生ず、愛欲を離れたる人に憂なし、何の処にか畏あらん。 二一六 渇愛より憂を生じ、渇愛より畏を生ず、渇愛を離れたる人に憂なし、何の処にか畏あらん。

書き下し

二一四 愛楽より憂を生じ、愛楽より畏を生ず、愛楽を離れたる人に憂なし、何の処にか畏あらん。 二一五 愛欲より憂を生じ、愛欲より畏を生ず、愛欲を離れたる人に憂なし、何の処にか畏あらん。 二一六 渇愛より憂を生じ、渇愛より畏を生ず、渇愛を離れたる人に憂なし、何の処にか畏あらん。

現代語訳

愛し楽しむことから憂いが生じ、愛し楽しむことから恐れが生じる。愛し楽しむことを離れた人に憂いはない。どこに恐れがあろうか。愛欲から憂いが生じ、愛欲から恐れが生じる。愛欲を離れた人に憂いはない。どこに恐れがあろうか。渇愛(喉が渇いて水を求めるような激しい欲求)から憂いが生じ、渇愛から恐れが生じる。渇愛を離れた人に憂いはない。どこに恐れがあろうか。

解説

「愛好の部」の中心にある、同じ形を繰り返す偈の一部である。前後の偈とあわせて、「愛好」「愛楽」「愛欲」「渇愛」と、愛の語を少しずつ変えながら同じ句を重ねてゆく。繰り返すたびに愛の度合いが強まり、渇愛に至って頂点に達する。渇愛はパーリ語のタンハー、喉が渇いた者が水を求めるような止みがたい欲求で、仏教では苦の根本原因とされる。憂いと恐れは、愛するものがあるから生まれる。失ったことへの憂い、失うかもしれないという恐れである。何も大事にしていなければ、何を失う恐れもない。この論理は単純だが、それだけに逃れにくい。もちろん何も愛するなと言われても難しい。ただ、自分の不安がどこから来ているかを辿ると、何かへの強い執着に行き着くことは多い。不安の根を探るための問いとして使える。

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