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法句経 / 第十四 仏陀の部 一七九〜一八一 自ら勝ちて他に勝たれず

一七九 已に自ら勝つて(他に)勝たれず、他人の達する能はざる勝利を得たる彼の(智見)無邊の佛陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。 一八〇 誘惑し阻礙する愛の爲に導き去らるゝことなき、彼の(智見)無邊の佛陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。 一八一 賢人は靜慮を專修し出家の寂靜を喜こぶ、諸神すら此の正等覺熟慮者を羨やむ。

新字:一七九 已に自ら勝つて(他に)勝たれず、他人の達する能はざる勝利を得たる彼の(智見)無辺の仏陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。 一八〇 誘惑し阻礙する愛の為に導き去らるゝことなき、彼の(智見)無辺の仏陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。 一八一 賢人は静慮を専修し出家の寂静を喜こぶ、諸神すら此の正等覚熟慮者を羨やむ。

書き下し

一七九 已に自ら勝つて(他に)勝たれず、他人の達する能はざる勝利を得たる彼の(智見)無辺の仏陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。 一八〇 誘惑し阻礙する愛の為に導き去らるゝことなき、彼の(智見)無辺の仏陀を、如何なる道に由つて邪道に導かんとするや。 一八一 賢人は静慮を専修し出家の寂静を喜こぶ、諸神すら此の正等覚熟慮者を羨やむ。

現代語訳

すでに自らに勝って(他に)勝たれることがなく、他の人の到達できない勝利を得た、あの(智慧と見識が)果てしない仏陀を、いったいどんな道によって邪道に導こうというのか。誘い惑わし、妨げとなる愛欲によって連れ去られることのない、あの(智慧と見識が)果てしない仏陀を、いったいどんな道によって邪道に導こうというのか。賢い人はひたすら静かな瞑想(静慮)に励み、出家の静けさを喜ぶ。神々でさえ、この正しく悟り、よく思慮する人を羨む。

解説

第十四章「仏陀の部」の冒頭の三偈である。伝承では、悟った釈尊を魔の娘たちが誘惑しようとした場面で説かれたとされる。「如何なる道に由つて邪道に導かんとするや」の繰り返しは、誘惑する側への問いかけである。すでに自分に勝った者は、外から勝たれることがない。愛欲という網にも捕えられない。足跡のない者を、どの道で迷わせるのかという、いわば余裕のある反問になっている。興味深いのは、仏陀の強さが他を打ち負かすことではなく、自分に勝ったことに置かれている点だ。攻めようにも取りつく欲がない。三偈目では、静慮に励み出家の寂静を喜ぶ者を、神々さえ羨むと言う。インドの世界観で神々は人より上位の存在だが、その神々が羨む。自分に勝っている人は、揺さぶりに強い。交渉や誘いに動じない強さの源を考えさせる。

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