法句経 / 第十三 世俗の部 一七七・一七八 預流の果は王位に勝る
一七七 貪る人は天に往かず、愚者は決して施與を贊せず、賢人は施與を隨喜し、此に由つて他生に樂を受く。 一七八 地上を統治するよりも、また天に往くよりも、一切世界の王位よりも預流の果を勝れたりとす。
新字:一七七 貪る人は天に往かず、愚者は決して施与を賛せず、賢人は施与を随喜し、此に由つて他生に楽を受く。 一七八 地上を統治するよりも、また天に往くよりも、一切世界の王位よりも預流の果を勝れたりとす。
書き下し
一七七 貪る人は天に往かず、愚者は決して施与を賛せず、賢人は施与を随喜し、此に由つて他生に楽を受く。 一七八 地上を統治するよりも、また天に往くよりも、一切世界の王位よりも預流の果を勝れたりとす。
現代語訳
貪る人は天界に往かない。愚かな者は決して施しを讃えない。賢い人は施しを共に喜び、これによって次の生で安楽を受ける。地上を統治することよりも、また天界に往くことよりも、全世界の王位よりも、預流の果(教えに確信を得て、悟りへの流れに入った境地)のほうが勝れている。
解説
「世俗の部」を締めくくる二偈である。前の偈は施しについて語る。注目したいのは「随喜」という語で、自分が施すことだけでなく、他人の施しを共に喜ぶことが挙げられている。愚者は施しを讃えない。人の善行を見て、素直に喜べないのである。賢者は自分が与えなくても、与える人を見て喜ぶ。その心がすでに楽の因になるという。後の偈は、世俗の価値の最高位を三つ並べる。地上の統治、天界への往生、全世界の王位。それらすべてより「預流の果」が勝るという。荻原の注は「仏教に確信を得ること」と簡潔に説く。流れに入ったばかりの最初の段階にすぎないが、方向が定まることの価値は、どんな地位にもまさる。他人の成功を喜べるかどうかは、組織の空気を大きく左右する。
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