法句経 / 第二十 道の部 二七六 如来は説者なり
二七六 汝等須らく勗めよ、如來は説者なり、思惟して修行する人は魔の縛を脱る。
新字:二七六 汝等須らく勗めよ、如来は説者なり、思惟して修行する人は魔の縛を脱る。
書き下し
二七六 汝等須らく勗めよ、如来は説者なり、思惟して修行する人は魔の縛を脱る。
現代語訳
あなたたちは自ら努めなければならない。如来(真理に到達した者)は道を説く者である。よく考えて修行する人は、魔の束縛から逃れる。
解説
短いが、仏教の姿勢をよく表す一偈である。「如来は説者なり」、仏陀は道を示す者であって、代わりに歩いてくれる者ではない。救いを約束するのではなく、方法を説くのだと自ら言い切っている。だからこそ冒頭で「須らく勗めよ」、歩くのはあなた自身だと念を押す。前の偈で仏陀は、毒矢を抜く方法を悟ったから説くと言った。ここでは、その方法を実際に使うかどうかが聞く側に委ねられる。後半の「思惟して修行する」は、考えることと実践することの両方を求める。考えるだけでも、ただ行うだけでも足りない。「魔の縛」は、欲望や恐れに縛られた状態を魔の網に喩えた言い方である。教える側と学ぶ側の責任の分け方として読むこともできる。良い師や研修がいくらあっても、歩くのは本人である。人を育てる側は、道を示すところまでが自分の仕事だと知っておくとよい。
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