法句経 / 第八 千の部 一〇三〜一〇五
一〇三 戰場に於て千々の敵に克つよりも、一の己に克つ人こそ實に戰士中の最上と云ふべけれ。 一〇四 己に克つを勝れたりとす、他の諸人に克つに非ず、自己を從へ、所行常に節制ある人の勝利には 一〇五 神も健闥婆も亦魔羅も及び梵も、斯かる人の勝利には反抗する能はず。
新字:一〇三 戦場に於て千々の敵に克つよりも、一の己に克つ人こそ実に戦士中の最上と云ふべけれ。 一〇四 己に克つを勝れたりとす、他の諸人に克つに非ず、自己を従へ、所行常に節制ある人の勝利には 一〇五 神も健闥婆も亦魔羅も及び梵も、斯かる人の勝利には反抗する能はず。
書き下し
一〇三 戦場に於て千々の敵に克つよりも、一の己に克つ人こそ実に戦士中の最上と云ふべけれ。 一〇四 己に克つを勝れたりとす、他の諸人に克つに非ず、自己を従へ、所行常に節制ある人の勝利には 一〇五 神も健闥婆も亦魔羅も及び梵も、斯かる人の勝利には反抗する能はず。
現代語訳
戦場において千々の敵に勝つよりも、一つの自分に勝つ人こそ、実に戦士のなかで最上と言うべきである。自分に勝つのを優れたこととする。他の人々に勝つことではない。自己を従え、行いが常に節制ある人の勝利には、神も健闥婆も魔羅も梵天も、反抗することができない。
解説
「戰場に於て千々の敵に克つよりも、一の己に克つ」——法句経のなかでも屈指の有名句である。ここで押さえておきたいのは、比較の相手が「千々の敵」だという点だ。一対一ではない。千人に勝つ大勝利より、自分一人に勝つほうが上だと言う。理由は次の偈で示される。他人への勝利は、状況が変われば覆る。だが自分に勝った人の勝利には「反抗する能はず」——神々でさえ覆せない。奪えないものだけが本当の勝利だ、という理屈である。荻原の註は、健闥婆を鬼神の一種、魔羅を悪魔、梵を造物主神と説明する。当時の世界観で最も強い存在を三つ並べて、それでも覆せないと言っている。
この章句が説くこと
己に克つ千々の敵戦士中の最上奪えない勝利勝敗
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