法句経 / 第十三 世俗の部 一七〇・一七一 世は泡の如しと観よ
一七〇 (世は)泡沫の如しと觀よ、(世は)陽炎の如しと觀よ、斯く世間を觀察する人を死王は見ることなし。 一七一 來れ、雜色の王車に等しき此の世間を見よ、愚者は此中に沈溺す、智者に執著あることなし。
新字:一七〇 (世は)泡沫の如しと観よ、(世は)陽炎の如しと観よ、斯く世間を観察する人を死王は見ることなし。 一七一 来れ、雑色の王車に等しき此の世間を見よ、愚者は此中に沈溺す、智者に執著あることなし。
書き下し
一七〇 (世は)泡沫の如しと観よ、(世は)陽炎の如しと観よ、斯く世間を観察する人を死王は見ることなし。 一七一 来れ、雑色の王車に等しき此の世間を見よ、愚者は此中に沈溺す、智者に執著あることなし。
現代語訳
(世は)泡のようなものだと観よ。(世は)陽炎のようなものだと観よ。このように世間を観察する人を、死の王は見つけることがない。来たれ、色とりどりに飾られた王の車にも等しいこの世間を見よ。愚かな者はこの中に沈み溺れるが、智慧ある者には執着がない。
解説
「世俗の部」の二偈で、世間の見方を教える。泡は生じてはすぐに消え、陽炎は見えていても手に取れない。どちらも「あるように見えて実体がない」ものの代表である。そう観る人を死王は見ない、という言い方が興味深い。死王はパーリ語でマッチュラージャ、死を擬人化した存在である。執着のない者は、死にとって捕まえる手がかりがない、ということだろう。次の偈は一転して「来れ」と呼びかけ、世間を「雑色の王車」にたとえる。王の乗る車は金銀や彩色で飾り立てられ、見る者の目を奪う。だが所詮は車であり、いずれ朽ちる。愚者はその華やかさに溺れ、智者は眺めても囚われない。見るなと言うのではなく、よく見よと言っている点に注意したい。地位や肩書きの飾りも、よく見ればどう見えるか、考える材料になる。
関連する章句
-
『法句経』第十三 世俗の部 一六七〜一六九 如法の者は快く寝る一六七 下劣の法を習ふべからず、放逸に住すべからず、邪見を習ふべからず、世俗を助長すべからず。 一六八 発起せよ、放逸なる勿れ、妙行の法を行ぜよ、如法の行者は快く寐ぬ、今世にも亦他(世)にも。 一六九 妙行の法を行ぜよ、悪行の法を行ずる勿れ、如法の行者は快く寐ぬ、今世にも亦他(世)にも。
-
『法句経』第十一 老耄の部 一五一・一五二一五一 王車の美はしきも必らず朽つ、身もまた是の如く衰ふ、但だ善の徳は衰へず、これ善士の互に語る所なり。 一五二 愚人の老ゆるは牛の(老ゆるが)如し、彼の肉は増すも彼の慧は増さず。
-
『法句経』第十三 世俗の部 一七四〜一七六 網を脱れる鳥は稀なり一七四 此の世は黒暗なり、此の中にて能く見るもの稀なり、網を脱れて天に到る鳥の稀なるが如く。 一七五 鵝鳥は日の道を行く、(人は)通力によりて虚空を行く、賢人は魔と其軍衆とを亡ぼし世間を離る。 一七六 一法を犯し、(且つ)妄語し、他世を信ぜざる人は悪として造らざるなし。
-
『法句経』第四 華の部 四四〜四六 華を摘むが如く四四 誰か此の地を征服す、(誰か)又此の閻魔界と天界とを征服す、誰か善説の寂静への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くする。 四五 仏教を学ぶ人は(此の)地を征服す、又此の閻魔界と天界とを(征服す)、仏教を学ぶ人は善説の寂静への道を摘むこと猶ほ賢き人の華を(摘むが)如くす。 四六 此の身は水沫の如しと知り、陽炎の如しと覚る人は魔羅の華箭を壊り、死王を覩ることなし。
-
『法句経』第十一 老耄の部 一四六〜一四八 何ぞ燈明を求めざる一四六 何を笑ひ何ぞ喜ばん、(世は)常に熾然たり、汝等黒闇に擁蔽さる、奚ぞ灯明を求めざる。 一四七 見よ、雑色の影像は積集せる瘡痍の体なり、痛み、欲望多し、此に堅固常住あることなし。 一四八 此の容色は衰ふ、病の巣なり、敗亡に帰す、臭穢の積集は壊る、生は必ず死に終る。
-
『法句経』第四 華の部 四七・四八 華を採る人四七 専心に華を採る人を死は捕へ去る、宛も眠れる村人を暴流が(漂蕩する)如くに。 四八 専心に華を採る人を死は制服す、欲に於て飽かざるうちに。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る