法句経 / 第十一 老耄の部 一四九・一五〇 骨を以て城とす
一四九 秋の(棄てられたる)瓢の如き、此の棄てられたる、灰白の骨を見て何ぞ愛樂あらん。 一五〇 骨を以て城とし、肉と血とを塗り、中に老と死と慢と覆とを藏す。
新字:一四九 秋の(棄てられたる)瓢の如き、此の棄てられたる、灰白の骨を見て何ぞ愛楽あらん。 一五〇 骨を以て城とし、肉と血とを塗り、中に老と死と慢と覆とを蔵す。
書き下し
一四九 秋の(棄てられたる)瓢の如き、此の棄てられたる、灰白の骨を見て何ぞ愛楽あらん。 一五〇 骨を以て城とし、肉と血とを塗り、中に老と死と慢と覆とを蔵す。
現代語訳
秋に(捨てられた)瓢箪のような、この捨てられた、灰白色の骨を見て、どうして愛着を抱くことがあろうか。骨で城を造り、肉と血とを塗り、その中に老いと死と慢心と覆(自分の罪を隠すこと)とを蔵している。
解説
「老耄の部」の二偈で、身体を見つめる目がさらに鋭くなる。一四九偈は、秋の野に捨てられた瓢箪のように転がる白い骨を描く。夏に実った瓢箪も、秋には干からびて打ち捨てられる。季節の移ろいが、人の身体の行く末に重ねられている。一五〇偈の比喩は建築である。骨を柱や城壁にして城を築き、肉と血を壁土のように塗る。その城の中にしまい込まれているのは、老と死、そして慢と覆だという。覆とは、荻原の注によれば自分の罪を隠すことである。身体という城は、外から見れば堂々としていても、内に崩れる運命と、驕りと、隠し事を抱えている。老と死という避けがたいものと、慢と覆という心の問題が同じ城に並べられているのが興味深い。立派な外観の内側に何を蔵しているか、組織にも個人にも向けられる問いである。
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