法句経 / 第十一 老耄の部 一四六〜一四八 何ぞ燈明を求めざる
一四六 何を笑ひ何ぞ喜ばん、(世は)常に熾然たり、汝等黑闇に擁蔽さる、奚ぞ燈明を求めざる。 一四七 見よ、雜色の影像は積集せる瘡痍の體なり、痛み、欲望多し、此に堅固常住あることなし。 一四八 此の容色は衰ふ、病の巣なり、敗亡に歸す、臭穢の積集は壞る、生は必ず死に終る。
新字:一四六 何を笑ひ何ぞ喜ばん、(世は)常に熾然たり、汝等黒闇に擁蔽さる、奚ぞ灯明を求めざる。 一四七 見よ、雑色の影像は積集せる瘡痍の体なり、痛み、欲望多し、此に堅固常住あることなし。 一四八 此の容色は衰ふ、病の巣なり、敗亡に帰す、臭穢の積集は壊る、生は必ず死に終る。
書き下し
一四六 何を笑ひ何ぞ喜ばん、(世は)常に熾然たり、汝等黒闇に擁蔽さる、奚ぞ灯明を求めざる。 一四七 見よ、雑色の影像は積集せる瘡痍の体なり、痛み、欲望多し、此に堅固常住あることなし。 一四八 此の容色は衰ふ、病の巣なり、敗亡に帰す、臭穢の積集は壊る、生は必ず死に終る。
現代語訳
何を笑い、何を喜ぶのか。(世は)常に燃えさかっている。あなたたちは暗闇に覆われている。どうして灯火を求めないのか。見よ、この飾り立てられた身体の像は、積み重なった傷の塊である。痛みがあり、欲望が多く、ここには堅固で常住なものはない。この容色は衰える。病の巣であり、滅び去るものである。臭く穢れたものの集まりは壊れる。生は必ず死に終わる。
解説
第十一章「老耄の部」の冒頭である。伝承では、酒に浮かれ騒ぐ女性たちに向けて説かれたとされる。「何を笑ひ何ぞ喜ばん」と、冒頭からいきなり問いかける。世は常に燃えている、と荻原が注するように、熾然とはあらゆるものが無常に滅びていくさまを火が盛んに燃えるのに喩えた言葉である。燃えている家の中で笑っている、しかもその家は暗闇に覆われている。ならばなぜ灯を求めないのか。一四七偈と一四八偈は、身体に目を向ける。雑色の影像、すなわち飾り立てた身体は実体のない像であり、傷の集まり、病の巣、臭穢の集まりだという。厳しい言葉が並ぶが、目的は変わらないものと思い込む錯覚を解くことにある。いつまでも同じ状態が続くと思って浮かれていないか、立ち止まって足元を照らせという問いかけとして読める。
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