法句経 / 第六 賢哲の部 八九 現世にて涅槃に入る
八九 心は正しき菩提の要素を正しく修習し、執著無く、執著を棄つることを樂しみ、心の穢を盡し、知見を具する人は、現世に於て(已に)涅槃に入れるなり。
新字:八九 心は正しき菩提の要素を正しく修習し、執著無く、執著を棄つることを楽しみ、心の穢を尽し、知見を具する人は、現世に於て(已に)涅槃に入れるなり。
書き下し
八九 心は正しき菩提の要素を正しく修習し、執著無く、執著を棄つることを楽しみ、心の穢を尽し、知見を具する人は、現世に於て(已に)涅槃に入れるなり。
現代語訳
心が正しい悟りの要素(七覚支、悟りへ導く七つの修行項目)を正しく修め、執著がなく、執著を捨てることを楽しみ、心の汚れを尽くし、智慧と見識を備えた人は、この世においてすでに涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)に入っているのである。
解説
「賢哲の部」を締めくくる一偈である。「菩提の要素」はパーリ語のボッジャンガ、七覚支と呼ばれる悟りへの七つの要素を指す。念(気づき)、択法(ものごとを見分けること)、精進、喜、軽安(心身の軽やかさ)、定、捨(かたよらない心)である。偈はそれを修めた人が、執著を捨てることそのものを楽しむと述べる。捨てることは我慢ではなく、身軽になる喜びとして描かれている。そして結びの「現世に於て(已に)涅槃に入れるなり」が要である。涅槃は死後にたどり着く遠い場所ではなく、この生のうちに実現しうる状態だと言い切っている。荻原が「已に」を補ったのも、その現在性を強めるためだろう。手放すことを損失でなく軽さとして味わえるかどうかは、抱え込みがちな仕事や地位との付き合い方を考える手がかりになる。
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