法句経 / 第七 阿羅漢の部 九〇〜九二 虚空の鳥の跡
九〇 經べき途を已に過ぎ、憂を除き、一切に於て解脱し、一切の縛を斷てる人には苦惱あることなし。 九一 彼等は精勤し、熟慮して住宅を喜ばず、鵝の小池を棄つるが如く、彼等はあらゆる住處を棄つ。 九二 若し人蓄積する所なく、受用度あり、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の跡の如し。
新字:九〇 経べき途を已に過ぎ、憂を除き、一切に於て解脱し、一切の縛を断てる人には苦悩あることなし。 九一 彼等は精勤し、熟慮して住宅を喜ばず、鵝の小池を棄つるが如く、彼等はあらゆる住処を棄つ。 九二 若し人蓄積する所なく、受用度あり、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の跡の如し。
書き下し
九〇 経べき途を已に過ぎ、憂を除き、一切に於て解脱し、一切の縛を断てる人には苦悩あることなし。 九一 彼等は精勤し、熟慮して住宅を喜ばず、鵝の小池を棄つるが如く、彼等はあらゆる住処を棄つ。 九二 若し人蓄積する所なく、受用度あり、(心)空、無相、解脱に遊ぶときは、其人の行跡は尋ぬべきこと難し、猶ほ虚空に於ける鳥の跡の如し。
現代語訳
経るべき道(輪廻)をすでに通り過ぎ、憂いを除き、あらゆることにおいて解き放たれ、すべての束縛を断ち切った人には、苦しみ悩みはない。彼らは努め励み、よく思慮して、住まい(生死の世界)を喜ばない。白鳥が小さな池を捨てて飛び去るように、彼らはあらゆる住処を捨てる。もし人が蓄えるところなく、受け用いることに節度があり、(心が)空・無相・解脱(とらわれのない三つの境地)に遊ぶならば、その人の行く跡はたどることが難しい。ちょうど大空を飛ぶ鳥の跡のように。
解説
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