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法句経 / 第六 賢哲の部 八三〜八五 彼岸に達する者は少なし

八三 善士は一切を棄て、欲を貪らず、愁嘆せず、樂に會うても又苦に會うても汲々たらず又戚々たらず。 八四 (善士は)己の爲にも亦他の爲にも、子孫を希はざれ、財も、又土地も、不法に由りて己の繁榮を希はざれ、彼は善く聰く正しくあれ。 八五 多くの人の中に於て少數の人あり彼岸に達す、餘の人は此方の岸の上に彷徨す。

新字:八三 善士は一切を棄て、欲を貪らず、愁嘆せず、楽に会うても又苦に会うても汲々たらず又戚々たらず。 八四 (善士は)己の為にも亦他の為にも、子孫を希はざれ、財も、又土地も、不法に由りて己の繁栄を希はざれ、彼は善く聰く正しくあれ。 八五 多くの人の中に於て少数の人あり彼岸に達す、余の人は此方の岸の上に彷徨す。

書き下し

八三 善士は一切を棄て、欲を貪らず、愁嘆せず、楽に会うても又苦に会うても汲々たらず又戚々たらず。 八四 (善士は)己の為にも亦他の為にも、子孫を希はざれ、財も、又土地も、不法に由りて己の繁栄を希はざれ、彼は善く聡く正しくあれ。 八五 多くの人の中に於て少数の人あり彼岸に達す、余の人は此方の岸の上に彷徨す。

現代語訳

善き人はあらゆるものを捨て、欲を貪らず、嘆き悲しまない。楽しいことに出会っても、苦しいことに出会っても、浮かれてあくせくすることもなく、沈んで思い悩むこともない。善き人は、自分のためにも他人のためにも、子孫を望まず、財産も土地も望まず、道に外れたやり方で自分の繁栄を望んではならない。その人は善く、聡明で、正しくあれ。多くの人々の中で、彼岸(涅槃、迷いを越えた向こう岸)に達する者はわずかである。その他の人々は、こちらの岸(輪廻の世界)の上をさまよい歩いている。

解説

第六章「賢哲の部」の後半、賢者の姿を描く三偈である。八三偈の「汲々たらず又戚々たらず」は、楽に会って舞い上がらず、苦に会って沈み込まないことを言う。喜怒をなくせというより、出来事に振り回されない重心の低さである。八四偈は、子孫も財も土地も「不法に由りて」求めるなと戒める。欲しがること自体より、筋を曲げて手に入れる繁栄を退けている点に注意したい。そして八五偈で視界が一気に広がる。川のこちら岸を大勢がうろうろと行き来し、向こう岸に渡るのはわずかである。荻原の注の通り、彼岸は涅槃、此方の岸は輪廻界を指す。渡し舟を待つ岸辺の群衆という絵は、誰もが渡れるはずなのに渡らない、という含みを帯びている。成果に一喜一憂せず、手段の正しさで踏みとどまれるかどうかは、組織を率いる者の足腰そのものだろう。

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