法句経 / 第六 賢哲の部 八〇〜八二
八〇 疏水師は水を導びき、矢人は箭を調へ、木工は木を調へ、智者は己を調ふ。 八一 磐石は風に搖がざるが如く、賢人は毀りと譽れの中に於て動かず。 八二 深き淵は澄みて靜なるが如く、智者は道を聞きて安泰なり。
新字:八〇 疏水師は水を導びき、矢人は箭を調へ、木工は木を調へ、智者は己を調ふ。 八一 磐石は風に揺がざるが如く、賢人は毀りと誉れの中に於て動かず。 八二 深き淵は澄みて静なるが如く、智者は道を聞きて安泰なり。
書き下し
八〇 疏水師は水を導びき、矢人は箭を調へ、木工は木を調へ、智者は己を調ふ。 八一 磐石は風に揺がざるが如く、賢人は毀りと誉れの中に於て動かず。 八二 深き淵は澄みて静なるが如く、智者は道を聞きて安泰なり。
現代語訳
水を導く者は水を導き、矢を作る者は矢を矯め、木工は木を整え、智者は自分を整える。岩は風に揺るがないように、賢人は謗りと誉れのなかにあって動かない。深い淵が澄んで静かであるように、智者は道を聞いて安らかである。
解説
八〇は職人の並列である。治水の者は水を、矢師は矢を、木工は木を。そして智者は「己を調ふ」。他の三つが外の材を扱うのに対し、最後だけ対象が自分になる。しかし並べ方が同じであることによって、自分を整えることもまた技術であり職能なのだ、という位置づけが与えられる。心構えの話ではないのである。八一の「毀りと譽れの中に於て動かず」は、非難だけでなく賞賛も揺らす力として並べているところが要点だ。褒められて動く人は、貶されても動く。八二の「深き淵は澄みて靜なる」——浅い水は音を立てて濁る。深ければ静かで澄む。安らかさが、鈍さではなく深さの結果として語られている。
この章句が説くこと
疏水師と矢人と木工己を調う毀りと誉れ深き淵