法句経 / 第六 賢哲の部 七九 法を飲める者
七九 法(水)を飮める者は快よく眠り、心淨く、(斯かる)賢人は常に聖所説の法を樂しむ。
新字:七九 法(水)を飲める者は快よく眠り、心浄く、(斯かる)賢人は常に聖所説の法を楽しむ。
書き下し
七九 法(水)を飲める者は快よく眠り、心浄く、(斯かる)賢人は常に聖所説の法を楽しむ。
現代語訳
法(真理)という水を飲んだ者は、心地よく眠り、心は澄んでいる。そのような賢い人は、常に聖者の説いた法を楽しむ。
解説
第六章「賢哲の部」の一偈で、法を水にたとえている。荻原は「法(水)」と括弧で補った。パーリ語の dhammapīti は「法を飲む者」とも「法に喜ぶ者」とも読める語で、飲むことと喜ぶことが一語に重なっている。乾いた喉に水が染み通るように、教えが身体の奥まで行き渡った人を思い浮かべればよい。その人は快よく眠るという。心配事や後悔を抱えた人がよく眠れないのと対照的で、眠りの質が心の状態の表れとして扱われている。心が澄み、聖者の説いた法を常に楽しむ。教えは苦行の対象ではなく、楽しみとして語られている点も見逃せない。義務として学ぶことと、喉が渇いて水を飲むように学ぶこととでは、身につき方がまったく違う。夜ぐっすり眠れるかどうかは、日中の働き方を映す鏡でもある。
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