群書治要 / 『群書治要』中論・賢人がいても用いなければ
凡亡國之君、其朝未嘗無致治之臣也。其府未嘗無先王之書也。然而不免乎亡者、何也。其賢不用、其法不行也。苟書法而不行其事、爵賢而不用其道、則法無於異路說、而賢無異於木主也。
新字:凡亡国之君、其朝未嘗無致治之臣也。其府未嘗無先王之書也。然而不免乎亡者、何也。其賢不用、其法不行也。苟書法而不行其事、爵賢而不用其道、則法無於異路説、而賢無異於木主也。
書き下し
凡そ亡国の君も、其の朝に未だ嘗て治を致すの臣無くんばあらず。其の府に未だ嘗て先王の書無くんばあらず。然り而して亡を免れざる者は、何ぞや。其の賢用いられず、其の法行われざればなり。苟くも法を書して其の事を行わず、賢を爵して其の道を用いざれば、則ち法は異路の説に無きがごとく、而して賢は木主に異なること無きなり。
現代語訳
滅びた国の君主の朝廷にも、治をもたらす臣がいなかったことはありません。その蔵にも、先王の書がなかったことはありません。それでも滅びを免れなかったのは、なぜでしょうか。賢者が用いられず、法が行われなかったからです。法を書き記しても実行せず、賢者に爵位を与えてもその道を用いないなら、法は道ばたの噂話と変わらず、賢者は木の位牌と変わりません。
解説
『中論』のこの節は、人材も制度も揃っていた国がなぜ滅びたのかを問い、賢者を用いず法を行わなかったからだと答えます。続く箇所には、桀や紂、春秋の諸侯の例が並びます。現代に引き寄せると、立派な理念や規程、優秀な人材が社内にあっても、使われなければ飾りにすぎないということです。マニュアルを作ること、人を採ることがゴールではなく、意見を聞き、決まりを守るところまでが仕事だと確かめさせる一節です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
亡国賢者法実行人材形骸化
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