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法句経 / 第五 愚闇の部 六六〜六八 己に仇する愚者

六六 愚癡無智の凡夫は己に對して仇敵の如くふるまひ、惡業を作して苦痛の果を得。 六七 造り已りて後悔し、顏に涙を流し、泣きて其果報を受くべき業は、善く作られたるに非ず。 六八 造り已りて後悔せず、死して後悦こびて其果報を受くべき業は、善く作られたるなり。

新字:六六 愚痴無智の凡夫は己に対して仇敵の如くふるまひ、悪業を作して苦痛の果を得。 六七 造り已りて後悔し、顔に涙を流し、泣きて其果報を受くべき業は、善く作られたるに非ず。 六八 造り已りて後悔せず、死して後悦こびて其果報を受くべき業は、善く作られたるなり。

書き下し

六六 愚癡無智の凡夫は己に対して仇敵の如くふるまひ、悪業を作して苦痛の果を得。 六七 造り已りて後悔し、顔に涙を流し、泣きて其果報を受くべき業は、善く作られたるに非ず。 六八 造り已りて後悔せず、死して後悦こびて其果報を受くべき業は、善く作られたるなり。

現代語訳

愚かで智慧のない凡夫は、自分自身に対して仇敵のようにふるまい、悪い行いをなして苦しい結果を得る。行ったあとで後悔し、顔に涙を流し、泣きながらその報いを受けなければならないような行いは、よくなされたものではない。行ったあとで後悔せず、死んだのちにも喜んでその報いを受けるような行いは、よくなされたものである。

解説

第五章「愚闇の部」の中ほどで、愚者のふるまいを業の報いから見る三偈である。六六偈は、愚者が自分に対して仇敵のようにふるまうという。他人を害しているつもりで、実は自分に苦の果を招いている。敵は外にいるのではなく、自分の行いの中にいるという逆説である。六七・六八偈は、善く作された行いとそうでない行いを見分ける基準を示す。後で悔い、涙を流して報いを受ける行いは善く作されたものではなく、後悔せず喜んで報いを受けられる行いが善く作されたものだという。基準は行為の最中の気分でも周囲の評価でもなく、事後に自分がどう受け止めるかに置かれている。判断に迷うとき、終えた後の自分がそれを悔いるかどうかを先に想像してみるのは、単純だが役に立つ問いである。

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