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法句経 / 第五 愚闇の部 六九〜七一 灰に覆はれたる火

六九 罪過の未だ熟せざる間は愚者は以て蜜の如しと爲す。罪過の正に熟する時に至りて(愚者は)苦惱す。 七〇 愚者は日々茅草の端を以て飮食するあらんも、彼は法を思擇せる人の十六分の一に及ばず。 七一 造られたる惡業は猶ほ新たに搾れる牛乳の如し、(即時に)熟し了はらず、隨逐して愚者を惱ます、猶ほ灰に覆はれたる火の如し。

新字:六九 罪過の未だ熟せざる間は愚者は以て蜜の如しと為す。罪過の正に熟する時に至りて(愚者は)苦悩す。 七〇 愚者は日々茅草の端を以て飲食するあらんも、彼は法を思択せる人の十六分の一に及ばず。 七一 造られたる悪業は猶ほ新たに搾れる牛乳の如し、(即時に)熟し了はらず、随逐して愚者を悩ます、猶ほ灰に覆はれたる火の如し。

書き下し

六九 罪過の未だ熟せざる間は愚者は以て蜜の如しと為す。罪過の正に熟する時に至りて(愚者は)苦悩す。 七〇 愚者は日々茅草の端を以て飲食するあらんも、彼は法を思択せる人の十六分の一に及ばず。 七一 造られたる悪業は猶ほ新たに搾れる牛乳の如し、(即時に)熟し了はらず、随逐して愚者を悩ます、猶ほ灰に覆はれたる火の如し。

現代語訳

罪がまだ熟さないうちは、愚か者はそれを蜜のように甘いものと思う。罪がまさに熟すときになって、愚か者は苦しみ悩む。愚か者が毎日、茅草の先で食べるほどに(苦行者のように)飲食を切り詰めたとしても、その人は法(真理)をよく見分けた人の十六分の一にも及ばない。なされた悪業は、搾りたての牛乳のように、すぐには固まらない。それはつきまとって愚か者を悩ませる。ちょうど灰に覆われた火のように。

解説

愚闇の部で、悪業が熟すまでの時間差を描く三偈である。六九偈は、罪が熟さないうちは愚者はそれを蜜のように思うという。報いが遅れるあいだ、悪い行いはむしろ甘い。七一偈はその時間差を二つの比喩で重ねる。搾りたての牛乳はすぐには固まらない。灰に覆われた火は、表面が冷えて見えても内に熱を保っている。荻原の注にあるとおり、業の力の執拗さの喩えである。すぐに結果が出ないことは、何も起きていないことを意味しない。間に挟まれた七〇偈は、茅草の端で食べるほど苦行に励んでも、法を思択する人の十六分の一に及ばないという。形の厳しさより、知り判ける力が重いという主張だ。問題を先送りしても灰の下で火は消えていない、という感覚は、組織の小さな不正や歪みを考えるときにも通じる。

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