法句経 / 第五 愚闇の部 六三〜六五
六三 愚者にして(己れ)愚なりと想ふは已に賢なり、愚にして(己れ)賢なりと想ふ人こそ實に愚と謂はる。 六四 愚者は終生賢人に近づくも正法を知らず、匙の汁味を(知らざる)如し。 六五 智者は瞬時賢人に近づくと雖も速に正法を知る、舌の汁味を(知る)如し。
新字:六三 愚者にして(己れ)愚なりと想ふは已に賢なり、愚にして(己れ)賢なりと想ふ人こそ実に愚と謂はる。 六四 愚者は終生賢人に近づくも正法を知らず、匙の汁味を(知らざる)如し。 六五 智者は瞬時賢人に近づくと雖も速に正法を知る、舌の汁味を(知る)如し。
書き下し
六三 愚者にして(己れ)愚なりと想ふは已に賢なり、愚にして(己れ)賢なりと想ふ人こそ実に愚と謂はる。 六四 愚者は終生賢人に近づくも正法を知らず、匙の汁味を(知らざる)如し。 六五 智者は瞬時賢人に近づくと雖も速に正法を知る、舌の汁味を(知る)如し。
現代語訳
愚かな者でありながら自分は愚かだと思う人は、それだけで既に賢い。愚かでありながら自分は賢いと思う人こそ、実に愚かと言われる。愚かな者は生涯賢人に近づいても正しい法を知らない。匙が汁の味を知らないようなものである。智者は一瞬でも賢人に近づけば速やかに正しい法を知る。舌が汁の味を知るようなものである。
解説
匙と舌の比喩が鋭い。匙は毎日汁の中にある。しかし味を知らない。舌はひと舐めで味を知る。同じ場所に同じだけいても、受け取る器官が違えば何も入らないという。長く師のそばにいたことは、何の保証にもならない。では匙と舌を分けるものは何か。それが六三に置かれている。「愚者にして愚なりと想ふは已に賢なり」——自分が分かっていないと知っていること。分かったつもりでいる人は、匙のまま何年でも汁に浸かっていられる。分かっていないと知っている人だけが、ひと舐めで受け取る。学びの入り口に立てるかどうかの分かれ目が、ここで自己評価の一点に絞られている。
この章句が説くこと
匙と舌愚を知る賢しと想う学びの入口