法句経 / 第二 不放逸の部 三〇〜三二 火の如く結を焼く
三〇 摩掲梵は不放逸によりて諸神の主となるを得たり、人咸な不放逸を稱贊す、放逸は常に非難せらる。 三一 不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は行きつゝ粗細の結を燒く、猶ほ火の如し。 三二 不放逸を樂しみ放逸を畏るゝ出家は退轉するの理なし、彼は既に涅槃に近づけり。
新字:三〇 摩掲梵は不放逸によりて諸神の主となるを得たり、人咸な不放逸を称賛す、放逸は常に非難せらる。 三一 不放逸を楽しみ放逸を畏るゝ出家は行きつゝ粗細の結を焼く、猶ほ火の如し。 三二 不放逸を楽しみ放逸を畏るゝ出家は退転するの理なし、彼は既に涅槃に近づけり。
書き下し
三〇 摩掲梵は不放逸によりて諸神の主となるを得たり、人咸な不放逸を称賛す、放逸は常に非難せらる。 三一 不放逸を楽しみ放逸を畏るゝ出家は行きつゝ粗細の結を焼く、猶ほ火の如し。 三二 不放逸を楽しみ放逸を畏るゝ出家は退転するの理なし、彼は既に涅槃に近づけり。
現代語訳
マガヴァン(摩掲梵、インドラ神の別名)は怠らないことによって神々の王となった。人は皆、怠らないことを称賛し、怠けることは常に非難される。怠らないことを楽しみ、怠けることを恐れる出家者は、世にありながら、粗いものも細かいものも煩悩の束縛(結)を焼き尽くしていく。ちょうど火のように。怠らないことを楽しみ、怠けることを恐れる出家者は、退き戻ることがない。その人はすでに涅槃(煩悩の火が消えた安らぎ)に近づいている。
解説
不放逸の部を締めくくる三偈である。三〇偈の摩掲梵は、荻原の注にあるとおり神々の王インドラ(帝釈天)の別名で、前世に人として怠らず善行を積んだ結果、神々の主となったという伝承による。神話の王座さえ不放逸の果とされている。三一偈の比喩が印象深い。「結」は煩悩の異名で、人を縛りつける紐のことである。不放逸の出家は、粗い結も細かい結も焼いていく、火のようにという。「行きつゝ」とは世に生活しながらの意で、特別な場所に退かなくても、日々の歩みのなかで束縛は燃えていく。火は太い薪も細い枝も区別せず、進むにつれて焼き尽くす。三二偈は、その人に退転はなく、すでに涅槃に近いと結ぶ。大きな決断より日々の注意の持続が習慣の縛りをほどいていくという見方は、仕事の改善にも通じる。
関連する章句
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