法句経 / 第二 不放逸の部 二一
二一 不放逸は不死に到り、放逸は死に到る、不放逸の者は死せず、放逸の者は死せるに同じ。
書き下し
二一 不放逸は不死に到り、放逸は死に到る、不放逸の者は死せず、放逸の者は死せるに同じ。
現代語訳
怠らないことは不死に到り、怠ることは死に到る。怠らない者は死なず、怠る者は死んでいるのと同じである。
解説
第二章「不放逸の部」の冒頭で、釈尊が最後に弟子へ残した言葉としても伝わる「不放逸」の主題がここに置かれる。放逸は、怠惰というより「気が散っていること」「うわの空でいること」を指す。だから対義語の不放逸は、勤勉というより「目が覚めていること」に近い。そのうえで「放逸の者は死せるに同じ」と言い切る。生きているのに死んでいる、という表現は誇張ではなく、この経では気づいていない状態そのものを死と呼んでいる。逆に不死とは、永遠に生きることではなく涅槃の別名である。生と死という言葉が、生物学的な意味からずらして使われていることに気づくと、この短い偈の射程が見えてくる。忙しく動き回っていても、うわの空なら死んでいる側だという。
この章句が説くこと
不放逸放逸不死目覚めている
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