法句経 / 第二 不放逸の部 二八・二九
二八 不放逸により放逸を却けたる識者は智慧の閣に昇り、憂なく、憂ある人を觀る、山上に居る人が平地の人を(觀るが)如く、泰然として愚者を觀る。 二九 逸放の中に在りて不放逸に、眠れる中に處して能く寤めたる賢人は駿馬の如く駑馬を後にして進む。
新字:二八 不放逸により放逸を却けたる識者は智慧の閣に昇り、憂なく、憂ある人を観る、山上に居る人が平地の人を(観るが)如く、泰然として愚者を観る。 二九 逸放の中に在りて不放逸に、眠れる中に処して能く寤めたる賢人は駿馬の如く駑馬を後にして進む。
書き下し
二八 不放逸により放逸を却けたる識者は智慧の閣に昇り、憂なく、憂ある人を観る、山上に居る人が平地の人を(観るが)如く、泰然として愚者を観る。 二九 逸放の中に在りて不放逸に、眠れる中に処して能く寤めたる賢人は駿馬の如く駑馬を後にして進む。
現代語訳
怠りを退けた識者は智慧の高殿に昇り、憂いなく、憂いある人々を見わたす。山の上にいる人が平地の人を見るように、泰然として愚かな人々を見る。怠りの中にあって怠らず、眠っている者たちの中にあってよく目覚めている賢人は、駿馬が駑馬を後にして進むように進む。
解説
二八の情景は印象深い。怠りを退けた者は「智慧の閣に昇り」、憂いのある人々を見わたす。山上から平地を見るように。ただしこの見おろしは優越ではない。悲しみに沈む人々を見る、という含みであり、続く「泰然として」も冷淡さではなく動じないことを言う。高いところに立てば、下にいたときは見えなかった全体が見える。それだけのことだと読むほうが、この経の他の箇所と整合する。二九の「眠れる中に處して能く寤めたる賢人」も同じ構図だ。周りが眠っている中で一人起きている。孤独な情景ではあるが、駿馬の比喩が示すのは競争ではなく速度差である。同じ道を、同じ方向に進んでいる。
この章句が説くこと
智慧の閣山上と平地駿馬と駑馬目覚め
関連する章句
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