法華経 / 普賢菩薩勸發品第二十八(4)
爾時釋迦牟尼佛讚言:「善哉、善哉,普賢,汝能護助是經,令多所眾生、安樂利益,汝已成就不可思議功德、深大慈悲,從久遠來,發阿耨多羅三藐三菩提意,而能作是神通之願,守護是經,我當以神通力,守護能受持普賢菩薩名者。」 「普賢,若有受持、讀誦,正憶念,修習書寫是法華經者,當知是人、則見釋迦牟尼佛,如從佛口、聞此經典,當知是人、供養釋迦牟尼佛,當知是人、佛讚善哉,當知是人、為釋迦牟尼佛手摩其頭,當知是人、為釋迦牟尼佛衣之所覆,如是之人,不復貪著世樂,不好外道經書、手筆,亦復不喜親近其人、及諸惡者,若屠兒、若畜豬羊雞狗、若獵師、若炫賣女色,是人心意質直,有正憶念,有福德力,是人不為三毒所惱,亦復不為嫉妒、我慢、邪慢、增上慢、所惱,是人少欲知足,能修普賢之行。」 「普賢,若如來滅後、後五百歲,若有人、見受持讀誦法華經者,應作是念:『此人、不久當詣道場,破諸魔眾,得阿耨多羅三藐三菩提,轉法輪,擊法鼓,吹法螺,雨法雨,當坐天人大眾中、師子法座上。』」
新字:爾時釈迦牟尼仏讃言:「善哉、善哉,普賢,汝能護助是経,令多所衆生、安楽利益,汝已成就不可思議功徳、深大慈悲,従久遠来,発阿耨多羅三藐三菩提意,而能作是神通之願,守護是経,我当以神通力,守護能受持普賢菩薩名者。」 「普賢,若有受持、読誦,正憶念,修習書写是法華経者,当知是人、則見釈迦牟尼仏,如従仏口、聞此経典,当知是人、供養釈迦牟尼仏,当知是人、仏讃善哉,当知是人、為釈迦牟尼仏手摩其頭,当知是人、為釈迦牟尼仏衣之所覆,如是之人,不復貪著世楽,不好外道経書、手筆,亦復不喜親近其人、及諸悪者,若屠児、若畜豬羊鶏狗、若猟師、若炫売女色,是人心意質直,有正憶念,有福徳力,是人不為三毒所悩,亦復不為嫉妬、我慢、邪慢、增上慢、所悩,是人少欲知足,能修普賢之行。」 「普賢,若如来滅後、後五百歳,若有人、見受持読誦法華経者,応作是念:『此人、不久当詣道場,破諸魔衆,得阿耨多羅三藐三菩提,転法輪,撃法鼓,吹法螺,雨法雨,当坐天人大衆中、師子法座上。』」
書き下し
爾の時、釈迦牟尼仏、讃めて言わく。「善いかな、善いかな、普賢。汝、能く是の経を護助して、多くの衆生をして、安楽利益せしむ。汝、已に不可思議の功徳、深大の慈悲を成就し、久遠より来、阿耨多羅三藐三菩提の意を発し、而も能く是の神通の願を作して、是の経を守護す。我当に神通力を以て、能く普賢菩薩の名を受持する者を守護すべし。」 「普賢よ、若し是の法華経を受持し、読誦し、正憶念し、修習し、書写する者有らば、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見、仏の口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり。当に知るべし、是の人は仏の善いかなと讃めたまう。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏の手をもって其の頭を摩でらる。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏の衣に覆わるる所と為る。是の如きの人は、復世楽に貪著せず、外道の経書、手筆を好まず、亦復其の人、及び諸の悪者に親近することを喜ばず。若しは屠児、若しは猪羊鶏狗を畜う、若しは猟師、若しは女色を炫売する者なり。是の人は心意質直にして、正憶念有り、福徳力有り。是の人は三毒に悩まされず、亦復嫉妬、我慢、邪慢、増上慢に悩まされず。是の人は少欲知足にして、能く普賢の行を修す。」 「普賢よ、若し如来の滅後、後の五百歳に、若し人有りて、法華経を受持し読誦する者を見ては、応に是の念を作すべし。『此の人は久しからずして、当に道場に詣り、諸の魔衆を破り、阿耨多羅三藐三菩提を得、法輪を転じ、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法雨を雨らし、当に天人大衆の中の師子法座の上に坐すべし』と。」
現代語訳
そのとき釈迦牟尼仏はたたえて言われました。よいかな、よいかな、普賢。あなたはこの経を護り助け、多くの人々を安楽にし、利益を与えた。あなたはすでに思いはかれない功徳と、深く大きな慈悲を成し遂げ、はるかな昔から、阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こし、この神通の願をたてて、この経を守護している。私も神通力で、普賢菩薩の名を受け持つ人を守ろう。 普賢よ、もしこの法華経を受け持ち、読誦し、正しく憶念し、修め習い、書き写す人がいれば、その人は釈迦牟尼仏にお会いし、仏の口からこの経典を聞くようなものだと知りなさい。その人は釈迦牟尼仏を供養しているのだと知りなさい。その人は仏からよいかなとたたえられているのだと知りなさい。その人は釈迦牟尼仏の手でその頭をなでられているのだと知りなさい。その人は釈迦牟尼仏の衣に覆われているのだと知りなさい。このような人は、もはや世間の楽しみに貪り執着せず、外道の経書や手書きの書を好まず、またそのような人や、悪い者に親しむことを喜ばない。屠殺を業とする者、豚や羊や鶏や犬を飼う者、猟師、色事を売り物にする者などである。この人は心が素直でまっすぐで、正しい憶念があり、福徳の力がある。この人は三毒に悩まされず、嫉妬、我慢、邪慢、増上慢にも悩まされない。この人は欲が少なく足ることを知り、普賢の行を修めることができる。 普賢よ、如来の滅後、後の五百歳に、もし法華経を受け持ち読誦する人を見たなら、こう思いなさい。この人はまもなく道場に行き、魔の群れを破り、阿耨多羅三藐三菩提を得て、法輪を転じ、法鼓を撃ち、法螺を吹き、法雨を降らせ、天人の大衆の中の獅子の座に坐すだろう、と。
解説

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