法華経 / 觀世音菩薩普門品第二十五(5)
或在須彌峯,為人所推墮,念彼觀音力,如日虛空住。或被惡人逐,墮落金剛山,念彼觀音力,不能損一毛。 或值怨賊繞,各執刀加害,念彼觀音力,咸即起慈心。或遭王難苦,臨刑欲壽終,念彼觀音力,刀尋段段壞。 或囚禁枷鎖,手足被杻械,念彼觀音力,釋然得解脫。呪詛諸毒藥,所欲害身者,念彼觀音力,還著於本人。 或遇惡羅剎,毒龍諸鬼等,念彼觀音力,時悉不敢害。若惡獸圍遶,利牙爪可怖,念彼觀音力,疾走無邊方。 蚖蛇及蝮蠍,氣毒煙火燃,念彼觀音力,尋聲自迴去。雲雷鼓掣電,降雹澍大雨,念彼觀音力,應時得消散。 眾生被困厄,無量苦逼身,觀音妙智力,能救世間苦。具足神通力,廣修智方便,十方諸國土,無剎不現身。 種種諸惡趣,地獄鬼畜生,生老病死苦,以漸悉令滅。真觀清淨觀,廣大智慧觀,悲觀及慈觀,常願常瞻仰。 無垢清淨光,慧日破諸闇,能伏災風火,普明照世間。悲體戒雷震,慈意妙大雲,澍甘露法雨,滅除煩惱焰。 諍訟經官處,怖畏軍陣中,念彼觀音力,眾怨悉退散。妙音觀世音,梵音海潮音,勝彼世間音,是故須常念, 念念勿生疑,觀世音淨聖,於苦惱死厄,能為作依怙,具一切功德,慈眼視眾生,福聚海無量,是故應頂禮。 爾時持地菩薩即從座起。前白佛言。世尊。若有眾生。聞是觀世音菩薩品自在之業。普門示現神通力者。當知是人功德不少。 佛說是普門品時。眾中八萬四千眾生皆發無等等阿耨多羅三藐三菩提心。
新字:或在須弥峯,為人所推堕,念彼観音力,如日虚空住。或被悪人逐,堕落金剛山,念彼観音力,不能損一毛。 或値怨賊繞,各執刀加害,念彼観音力,咸即起慈心。或遭王難苦,臨刑欲寿終,念彼観音力,刀尋段段壊。 或囚禁枷鎖,手足被杻械,念彼観音力,釈然得解脱。呪詛諸毒薬,所欲害身者,念彼観音力,還著於本人。 或遇悪羅刹,毒竜諸鬼等,念彼観音力,時悉不敢害。若悪獣囲遶,利牙爪可怖,念彼観音力,疾走無辺方。 蚖蛇及蝮蠍,気毒煙火燃,念彼観音力,尋声自迴去。雲雷鼓掣電,降雹澍大雨,念彼観音力,応時得消散。 衆生被困厄,無量苦逼身,観音妙智力,能救世間苦。具足神通力,広修智方便,十方諸国土,無刹不現身。 種種諸悪趣,地獄鬼畜生,生老病死苦,以漸悉令滅。真観清浄観,広大智慧観,悲観及慈観,常願常瞻仰。 無垢清浄光,慧日破諸闇,能伏災風火,普明照世間。悲体戒雷震,慈意妙大雲,澍甘露法雨,滅除煩悩炎。 諍訟経官処,怖畏軍陣中,念彼観音力,衆怨悉退散。妙音観世音,梵音海潮音,勝彼世間音,是故須常念, 念念勿生疑,観世音浄聖,於苦悩死厄,能為作依怙,具一切功徳,慈眼視衆生,福聚海無量,是故応頂礼。 爾時持地菩薩即従座起。前白仏言。世尊。若有衆生。聞是観世音菩薩品自在之業。普門示現神通力者。当知是人功徳不少。 仏説是普門品時。衆中八万四千衆生皆発無等等阿耨多羅三藐三菩提心。
書き下し
或いは須弥の峰に在りて、人の為に推し堕とされんに、彼の観音の力を念ずれば、日の如くして虚空に住せん。或いは悪人に逐われて、金剛山より堕落せんに、彼の観音の力を念ずれば、一毛をも損ずること能わず。 或いは怨賊の繞みて、各刀を執りて害を加えんに値うも、彼の観音の力を念ずれば、咸く即ち慈心を起こさん。或いは王難の苦に遭い、刑に臨みて寿終らんと欲するも、彼の観音の力を念ずれば、刀尋いで段段に壊れん。 或いは囚禁され枷鎖せられ、手足に杻械を被るも、彼の観音の力を念ずれば、釈然として解脱を得ん。呪詛と諸の毒薬とにて、身を害せんと欲せらるるも、彼の観音の力を念ずれば、還って本人に著きなん。 或いは悪羅刹、毒龍、諸鬼等に遇うも、彼の観音の力を念ずれば、時に悉く敢えて害せず。若し悪獣に囲遶せられ、利き牙爪の怖るべきも、彼の観音の力を念ずれば、疾く無辺の方に走らん。 蚖蛇及び蝮蠍の、気毒の煙火のごとく燃ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声を尋ねて自ら迴り去らん。雲雷鼓し掣電し、雹を降らし大雨を澍ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん。 衆生困厄を被り、無量の苦身を逼むるも、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸の国土に、刹として身を現ぜざること無し。 種種の諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、以て漸く悉く滅せしむ。真観、清浄観、広大智慧観、悲観、及び慈観あり、常に願い常に瞻仰すべし。 無垢清浄の光、慧日、諸の闇を破り、能く災の風火を伏して、普く明らかに世間を照らす。悲の体は戒めて雷のごとく震い、慈の意は妙なる大雲のごとし、甘露の法雨を澍ぎ、煩悩の焰を滅除す。 諍訟して官処を経、軍陣の中に怖畏するも、彼の観音の力を念ずれば、衆の怨み悉く退散せん。妙音、観世音、梵音、海潮音、世間の音に勝れたり、是の故に須く常に念ずべし、 念念に疑いを生ずること勿れ。観世音は浄聖なり、苦悩死厄に於いて、能く為に依怙と作る。一切の功徳を具し、慈眼をもって衆生を視たまう、福聚の海は無量なり、是の故に応に頂礼すべし。 爾の時、持地菩薩、即ち座より起ちて、前みて仏に白して言さく。世尊、若し衆生有りて、是の観世音菩薩品の自在の業、普門示現の神通力を聞かん者は、当に知るべし、是の人の功徳少なからず、と。 仏、是の普門品を説きたまいし時、衆の中の八万四千の衆生、皆無等等の阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。
現代語訳
あるいは須弥山の頂から人に突き落とされても、観音の力を念じれば、太陽のように虚空にとどまります。あるいは悪人に追われて金剛山から落ちても、観音の力を念じれば、毛一本も傷つきません。 あるいは怨みを抱く賊に囲まれ、それぞれが刀を手に害を加えようとしても、観音の力を念じれば、皆たちまち慈しみの心を起こします。あるいは王の処罰の苦難にあい、刑場で命が尽きようとしても、観音の力を念じれば、刀はたちまちばらばらに壊れます。 あるいは牢に閉じこめられ、首かせや手かせ足かせをはめられても、観音の力を念じれば、たちまち解き放たれます。呪いや毒薬で身を害そうとされても、観音の力を念じれば、そのわざは元の人に返ります。 あるいは悪い羅刹や毒龍や鬼たちに出会っても、観音の力を念じれば、誰も害を加えられません。猛獣に囲まれ、鋭い牙や爪が恐ろしくても、観音の力を念じれば、獣は果てしない遠くへ走り去ります。 まむしや蠍の毒気が煙や火のように燃えても、観音の力を念じれば、声に応じて自然に去っていきます。雲がわき雷が鳴り、稲妻が走り、雹や大雨が降っても、観音の力を念じれば、すぐに消え散ります。 人々が苦難にさいなまれ、はかりしれない苦しみに迫られるとき、観音の妙なる智慧の力が、世の苦しみを救います。神通力を備え、智慧による方便を広く修めて、十方のどの国土にも、身を現さない所はありません。 さまざまな悪い境涯、地獄、餓鬼、畜生、また生老病死の苦しみを、観音は次第にすべて滅していきます。真実を見る観、清らかな観、広く大きな智慧の観、あわれみの観、いつくしみの観があります。つねにこれを願い、つねに仰ぎ見るべきです。 汚れなき清らかな光、智慧の太陽はあらゆる闇を破り、災いの風や火を鎮めて、世間をあまねく明るく照らします。あわれみの体は戒めとなって雷のように響き、いつくしみの心は不思議な大きな雲のようで、甘露の法の雨を降らせて、煩悩の炎を消し去ります。 争いごとで役所に出る時も、軍陣の中で恐れる時も、観音の力を念じれば、多くの敵意はみな退き散ります。妙なる声、観世音の声、梵天の声、海の潮のような声は、世間のどの声にも勝ります。ですからつねに念じるべきです。 一念ごとに疑いを起こしてはなりません。観世音は清らかな聖者であり、苦しみや悩み、死の災厄にあって、頼りとなってくださいます。あらゆる功徳を備え、慈しみの眼で人々を見られ、その福の集まりは海のように限りがありません。ですから礼拝すべきです。 そのとき持地菩薩が座から立ち、進み出て仏に申し上げました。世尊、この観世音菩薩品の自在のはたらき、あまねく姿を現す神通力を聞く人は、その功徳が少なくないと知るべきです。 仏がこの普門品を説かれたとき、会衆のうち八万四千の人々が、みな比類なき阿耨多羅三藐三菩提の心を起こしました。
解説

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