法華経 / 譬喻品第三(19)
告舍利弗,謗斯經者,若說其罪,窮劫不盡。以是因緣,我故語汝,無智人中,莫說此經。 若有利根,智慧明了,多聞強識,求佛道者,如是之人,乃可為說。若人曾見,億百千佛, 植諸善本,深心堅固,如是之人,乃可為說。若人精進,常修慈心,不惜身命,乃可為說。 若人恭敬,無有異心,離諸凡愚,獨處山澤,如是之人,乃可為說。又舍利弗,若見有人, 捨惡知識,親近善友,如是之人,乃可為說。若見佛子,持戒清潔,如淨明珠,求大乘經, 如是之人,乃可為說。若人無瞋,質直柔軟,常愍一切,恭敬諸佛,如是之人,乃可為說。 復有佛子,於大眾中,以清淨心,種種因緣、譬喻言辭、說法無礙,如是之人,乃可為說。 若有比丘,為一切智,四方求法,合掌頂受,但樂受持,大乘經典,乃至不受,餘經一偈, 如是之人,乃可為說。如人至心,求佛舍利,如是求經,得已頂受,其人不復,志求餘經, 亦未曾念,外道典籍,如是之人,乃可為說。告舍利弗,我說是相,求佛道者、窮劫不盡, 如是等人,則能信解,汝當為說,妙法華經。
新字:告舎利弗,謗斯経者,若説其罪,窮劫不尽。以是因縁,我故語汝,無智人中,莫説此経。 若有利根,智慧明了,多聞強識,求仏道者,如是之人,乃可為説。若人曽見,億百千仏, 植諸善本,深心堅固,如是之人,乃可為説。若人精進,常修慈心,不惜身命,乃可為説。 若人恭敬,無有異心,離諸凡愚,独処山沢,如是之人,乃可為説。又舎利弗,若見有人, 捨悪知識,親近善友,如是之人,乃可為説。若見仏子,持戒清潔,如浄明珠,求大乗経, 如是之人,乃可為説。若人無瞋,質直柔軟,常愍一切,恭敬諸仏,如是之人,乃可為説。 復有仏子,於大衆中,以清浄心,種種因縁、譬喩言辞、説法無礙,如是之人,乃可為説。 若有比丘,為一切智,四方求法,合掌頂受,但楽受持,大乗経典,乃至不受,余経一偈, 如是之人,乃可為説。如人至心,求仏舎利,如是求経,得已頂受,其人不復,志求余経, 亦未曽念,外道典籍,如是之人,乃可為説。告舎利弗,我説是相,求仏道者、窮劫不尽, 如是等人,則能信解,汝当為説,妙法華経。
書き下し
舎利弗に告ぐ、斯の経を謗る者は、若し其の罪を説かば、劫を窮むとも尽きず。是の因縁を以て、我故に汝に語る、無智の人の中にて、此の経を説くこと莫れ。 若し利根にして、智慧明了に、多聞強識、仏道を求むる者有らば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し人曽て、億百千の仏を見、 諸の善本を植え、深心堅固ならば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し人精進して、常に慈心を修し、身命を惜しまずんば、乃ち為に説く可し。 若し人恭敬して、異心有ること無く、諸の凡愚を離れ、山沢に独処せば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。又舎利弗、若し人有りて、 悪知識を捨て、善友に親近するを見ば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し仏子の、持戒清潔にして、浄き明珠の如く、大乗経を求むるを見ば、 是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し人瞋り無く、質直柔軟にして、常に一切を愍れみ、諸仏を恭敬せば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。 復仏子有りて、大衆の中に於いて、清浄の心を以て、種種の因縁・譬喩言辞をもって、説法して無礙ならば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。 若し比丘有りて、一切智の為に、四方に法を求め、合掌して頂受し、但大乗経典を受持するを楽い、乃至余経の一偈をも受けずば、 是の如きの人には、乃ち為に説く可し。人の至心に、仏舎利を求むるが如く、是の如く経を求め、得已りて頂受し、其の人復、余経を志求せず、 亦未だ曽て、外道の典籍を念わずば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。舎利弗に告ぐ、我是の相を説かば、仏道を求むる者のため、劫を窮むとも尽きず、 是の如き等の人は、則ち能く信解せん、汝当に為に、妙法華経を説くべし。
現代語訳
舎利弗に告げます。この経を謗る者について、もしその罪を説けば、劫を尽くしても尽きません。この因縁で、私はあなたに語ります。智慧のない人の中で、この経を説いてはいけません。もし鋭い資質で、智慧が明らかで、多く聞き強く記憶し、仏道を求める人がいるなら、そのような人には説いてよいのです。もし人が以前に億百千の仏に会い、善い根を植え、深い心が堅固であるなら、そのような人には説いてよい。もし人が精進して、常に慈しみの心を修め、身命を惜しまないなら、説いてよい。もし人が恭敬して、異なる心がなく、凡愚を離れ、山や沢に一人で住むなら、そのような人には説いてよい。また舎利弗よ、もし人が悪い友を捨てて、善い友に親しむのを見るなら、そのような人には説いてよい。もし仏の子が、戒を保ち清らかで、清浄な明珠のようで、大乗経を求めるのを見るなら、そのような人には説いてよい。もし人が怒りがなく、まっすぐで柔和で、常にすべてを憐れみ、諸仏を敬うなら、そのような人には説いてよい。また仏の子が、大衆の中で、清らかな心で、さまざまな因縁や譬喩の言葉で、さわりなく法を説くなら、そのような人には説いてよい。もし比丘が、一切智のために、四方に法を求め、合掌して頂き受け、ただ大乗の経典を受け持つことだけを願い、他の経の一偈さえ受けないなら、そのような人には説いてよい。人が心から仏舎利を求めるように、このように経を求め、得たら頂き受け、その人がさらに他の経を求めず、外道の典籍も念ずることがなければ、そのような人には説いてよい。舎利弗に告げます。私が仏道を求める者のこの姿を説くなら、劫を尽くしても尽きません。このような人々は、よく信じ理解します。あなたはこのような人のために、妙法華経を説きなさい。
解説

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