法華経 / 譬喻品第三(17)
是人於何,而得解脫,但離虛妄,名為解脫,其實未得、一切解脫。佛說是人、未實滅度, 斯人未得,無上道故,我意不欲、令至滅度。我為法王,於法自在,安隱眾生,故現於世。 汝舍利弗,我此法印,為欲利益,世間故說,在所遊方,勿妄宣傳。若有聞者,隨喜頂受, 當知是人、阿鞞跋致。若有信受,此經法者,是人已曾,見過去佛,恭敬供養,亦聞是法。 若人有能,信汝所說,則為見我,亦見於汝、及比丘僧、並諸菩薩。斯法華經,為深智說, 淺識聞之,迷惑不解,一切聲聞、及辟支佛,於此經中,力所不及。汝舍利弗,尚於此經、 以信得入,況餘聲聞。其餘聲聞,信佛語故,隨順此經,非己智分。又舍利弗,憍慢懈怠、 計我見者,莫說此經。凡夫淺識,深著五欲,聞不能解,亦勿為說。若人不信,譭謗此經, 則斷一切,世間佛種。或復顰蹙,而懷疑惑,汝當聽說,此人罪報。若佛在世,若滅度後, 其有誹謗,如斯經典,見有讀誦、書持經者,輕賤憎嫉、而懷結恨,此人罪報,汝今復聽, 其人命終,入阿鼻獄,具足一劫,劫盡更生,如是展轉,至無數劫,從地獄出,當墮畜生, 若狗野干,其影頷瘦,黧黮疥癩,人所觸嬈,又復為人,之所惡賤,常困饑渴,骨肉枯竭,
新字:是人於何,而得解脱,但離虚妄,名為解脱,其実未得、一切解脱。仏説是人、未実滅度, 斯人未得,無上道故,我意不欲、令至滅度。我為法王,於法自在,安隠衆生,故現於世。 汝舎利弗,我此法印,為欲利益,世間故説,在所遊方,勿妄宣伝。若有聞者,随喜頂受, 当知是人、阿鞞跋致。若有信受,此経法者,是人已曽,見過去仏,恭敬供養,亦聞是法。 若人有能,信汝所説,則為見我,亦見於汝、及比丘僧、並諸菩薩。斯法華経,為深智説, 浅識聞之,迷惑不解,一切声聞、及辟支仏,於此経中,力所不及。汝舎利弗,尚於此経、 以信得入,況余声聞。其余声聞,信仏語故,随順此経,非己智分。又舎利弗,憍慢懈怠、 計我見者,莫説此経。凡夫浅識,深著五欲,聞不能解,亦勿為説。若人不信,譭謗此経, 則断一切,世間仏種。或復顰蹙,而懐疑惑,汝当聴説,此人罪報。若仏在世,若滅度後, 其有誹謗,如斯経典,見有読誦、書持経者,軽賤憎嫉、而懐結恨,此人罪報,汝今復聴, 其人命終,入阿鼻獄,具足一劫,劫尽更生,如是展転,至無数劫,従地獄出,当堕畜生, 若狗野干,其影頷痩,黧黮疥癩,人所触嬈,又復為人,之所悪賤,常困饑渇,骨肉枯竭,
書き下し
是の人何に於いてか、解脱を得ん、但虚妄を離るるを、名づけて解脱と為すのみ、其の実には未だ一切の解脱を得ず。仏は説きたまう、是の人は未だ実には滅度せず、 斯の人は未だ、無上道を得ざるが故に、我が意は、滅度に至らしむることを欲せず、と。我は法王として、法に於いて自在なり、衆生を安穏にせんが故に、世に現ず。 汝舎利弗、我が此の法印は、利益せんと欲するが為に、世間の為の故に説く、遊方する所に在りては、妄りに宣伝すること勿れ。若し聞く者有りて、随喜して頂受せば、 当に知るべし是の人は、阿鞞跋致なり。若し此の経法を信受すること有らん者は、是の人已に曽て、過去の仏を見たてまつり、恭敬し供養し、亦是の法を聞けり。 若し人能く、汝が所説を信ずること有らば、則ち我を見、亦汝、及び比丘僧、並びに諸の菩薩を見ると為す。斯の法華経は、深智の為に説く、 浅識は之を聞きて、迷惑して解せず、一切の声聞、及び辟支仏は、此の経の中に於いて、力の及ばざる所なり。汝舎利弗すら、尚此の経に於いて、 信を以て入ることを得たり、況んや余の声聞をや。其の余の声聞は、仏語を信ずるが故に、此の経に随順するも、己の智分に非ず。又舎利弗、憍慢・懈怠、 我見を計する者には、此の経を説くこと莫れ。凡夫の浅識、深く五欲に著せるには、聞くとも解すること能わず、亦為に説くこと勿れ。若し人信ぜずして、此の経を譭謗せば、 則ち一切世間の仏種を断ず。或いは復顰蹙して、疑惑を懐かば、汝当に聴け、此の人の罪報を説かん。若しは仏在世にても、若しは滅度の後にても、 其れ斯の如き経典を誹謗し、経を読誦し書持する者有るを見て、軽賤し憎嫉して、結恨を懐くこと有らば、此の人の罪報を、汝今復聴け、 其の人命終して、阿鼻獄に入り、一劫を具足し、劫尽きて更に生まれ、是の如く展転して、無数劫に至り、地獄より出でて、当に畜生に墮つべし、 若しは狗・野干となり、其の形は頷痩し、黧黮・疥癩にして、人に触嬈せられ、又復人に、悪賤せられ、常に饑渇に困しみ、骨肉枯竭す、
現代語訳
この人はどのようにして解脱を得るのでしょうか。ただ虚妄を離れることを解脱と名づけるだけで、実際にはまだすべての解脱を得ていません。仏は、この人はまだ真実には滅度していないと説かれます。この人はまだ無上の道を得ていないので、私は彼を滅度に至らせたくありません。私は法の王であり、法において自在です。衆生を安らかにするために、世に現れました。舎利弗よ、私のこの法印は、利益を与えたいと思い、世間のために説くものです。遊行して行く先では、みだりに広め伝えてはいけません。もし聞いて喜び、頂き受ける者がいれば、その人は阿鞞跋致(不退転の位)であると知りなさい。もしこの経の法を信じ受ける者がいれば、その人はすでに過去の仏に会い、うやまい供養し、またこの法を聞いたことがあります。もし人があなたの説くことを信じることができるなら、それは私に会い、またあなた、そして比丘の僧、すべての菩薩に会うのと同じです。この法華経は、深い智慧のある人のために説くもので、浅い理解の人が聞けば、迷い惑って理解できません。すべての声聞や辟支仏は、この経に対しては、力が及びません。あなた舎利弗でさえ、この経には信によって入ることができました。まして他の声聞はなおさらです。他の声聞は、仏の言葉を信じるので、この経に従いますが、自分の智慧の分ではありません。また舎利弗よ、驕り高ぶり怠け、我見に執着する者には、この経を説いてはいけません。凡夫で浅い知識を持ち、五欲に深く執着する者は、聞いても理解できないので、説いてはいけません。もし人が信じず、この経を誹謗するなら、それは世間のあらゆる仏の種を断つことです。あるいは眉をひそめて疑いを抱くなら、あなたは聞きなさい、この人の罪の報いを説きましょう。仏が世におられても、滅度の後でも、このような経典を誹謗し、経を読み誦し書き持つ者がいるのを見て、軽んじ卑しめ、憎み妬み、恨みを抱く者がいれば、この人の罪の報いを、あなたはもう一度聞きなさい。その人は命が終わると、阿鼻地獄に入り、一劫を満たし、劫が尽きるとまた生まれ、このように転々として、無数の劫に至り、地獄から出ると畜生に堕ち、犬や野干になって、その姿は痩せこけ、黒ずみ、疥癬にかかり、人に触れられ悩まされ、また人に忌み嫌われ、常に飢えと渇きに苦しみ、骨肉が枯れ尽きます。
解説

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