法華経 / 方便品第二(14)
從久遠劫來,讚是涅槃法,生死苦永盡,我常如是說。 舍利弗當知,我見佛子等,志求佛道者,無量千萬億, 咸以恭敬心,皆來至佛所,曾從諸佛聞,方便所說法。 我即作是念,如來所以出,為說佛慧故,今正是其時。 舍利弗當知,鈍根小智人、著相憍慢者,不能信是法。 今我喜無畏,於諸菩薩中,正直捨方便,但說無上道。 菩薩聞是法,疑網皆已除,千二百羅漢、悉亦當作佛。 如三世諸佛,說法之儀式,我今亦如是,說無分別法。 諸佛興出世,懸遠值遇難,正使出於世,說是法復難, 無量無數劫,聞是法亦難,能聽是法者,斯人亦復難。 譬如優曇花,一切皆愛樂,天人所稀有,時時乃一出。 聞法歡喜讚,乃至發一言,則為已供養,一切三世佛, 是人甚稀有,過於優曇花。汝等勿有疑,我為諸法王, 普告諸大眾,但以一乘道、教化諸菩薩,無聲聞弟子。 汝等舍利弗,聲聞及菩薩,當知是妙法,諸佛之秘要。 以五濁惡世,但樂著諸欲,如是等眾生,終不求佛道。 當來世惡人,聞佛說一乘,迷惑不信受,破法墮惡道。 有慚愧清淨、志求佛道者,當為如是等、廣讚一乘道。 舍利弗當知,諸佛法如是,以萬億方便、隨宜而說法, 其不習學者,不能曉了此。汝等既已知,諸佛世之師, 隨宜方便事,無復諸疑惑,心生大歡喜,自知當作佛。
新字:従久遠劫来,讃是涅槃法,生死苦永尽,我常如是説。 舎利弗当知,我見仏子等,志求仏道者,無量千万億, 咸以恭敬心,皆来至仏所,曽従諸仏聞,方便所説法。 我即作是念,如来所以出,為説仏慧故,今正是其時。 舎利弗当知,鈍根小智人、著相憍慢者,不能信是法。 今我喜無畏,於諸菩薩中,正直捨方便,但説無上道。 菩薩聞是法,疑網皆已除,千二百羅漢、悉亦当作仏。 如三世諸仏,説法之儀式,我今亦如是,説無分別法。 諸仏興出世,懸遠値遇難,正使出於世,説是法復難, 無量無数劫,聞是法亦難,能聴是法者,斯人亦復難。 譬如優曇花,一切皆愛楽,天人所稀有,時時乃一出。 聞法歓喜讃,乃至発一言,則為已供養,一切三世仏, 是人甚稀有,過於優曇花。汝等勿有疑,我為諸法王, 普告諸大衆,但以一乗道、教化諸菩薩,無声聞弟子。 汝等舎利弗,声聞及菩薩,当知是妙法,諸仏之秘要。 以五濁悪世,但楽著諸欲,如是等衆生,終不求仏道。 当来世悪人,聞仏説一乗,迷惑不信受,破法堕悪道。 有慚愧清浄、志求仏道者,当為如是等、広讃一乗道。 舎利弗当知,諸仏法如是,以万億方便、随宜而説法, 其不習学者,不能暁了此。汝等既已知,諸仏世之師, 随宜方便事,無復諸疑惑,心生大歓喜,自知当作仏。
書き下し
久遠劫より来、是の涅槃の法を讃え、生死の苦永く尽くと、我常に是の如く説けり。 舎利弗当に知るべし、我仏子等の、志して仏道を求むる者、無量千万億なるを見る。 咸く恭敬の心を以て、皆仏所に来至し、曾て諸仏に従いて、方便所説の法を聞けり。 我即ち是の念を作す、如来の出づる所以は、仏慧を説かんが為の故なり、今正に是れ其の時なり、と。 舎利弗当に知るべし、鈍根小智の人、相に著し憍慢なる者は、是の法を信ずること能わず。 今我は喜びて畏るる無く、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但無上道を説く。 菩薩是の法を聞かば、疑網皆已に除かれん。千二百の羅漢も、悉く亦当に仏と作るべし。 三世の諸仏の、説法の儀式の如く、我今も亦是の如く、無分別の法を説く。 諸仏の世に興出したまうこと、懸遠にして値遇すること難く、正使世に出でたまうとも、是の法を説きたまうこと復難し。 無量無数劫にも、是の法を聞くこと亦難く、能く是の法を聴く者も、斯の人亦復難し。 譬えば優曇華の、一切皆愛楽し、天人の稀有とする所にして、時時に乃ち一たび出づるが如し。 法を聞きて歓喜し讃え、乃至一言を発せば、則ち已に、一切三世の仏を供養すと為す。 是の人は甚だ稀有にして、優曇華に過ぎたり。汝等疑い有ること勿れ、我は諸法の王たり、 普く諸の大衆に告ぐ、但一乗の道を以て、諸の菩薩を教化し、声聞の弟子無し、と。 汝等舎利弗、声聞及び菩薩よ、当に知るべし、是の妙法は、諸仏の秘要なり。 五濁悪世を以て、但諸欲に楽著す。是の如き等の衆生は、終に仏道を求めず。 当来世の悪人は、仏の一乗を説きたまうを聞きて、迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せん。 慚愧有り清浄にして、志して仏道を求むる者には、当に是の如き等の為に、広く一乗の道を讃むべし。 舎利弗当に知るべし、諸仏の法は是の如く、万億の方便を以て、宜しきに随いて法を説きたまう。 其の習学せざる者は、此れを暁了すること能わず。汝等既に已に知れり、諸仏は世の師にして、 宜しきに随う方便の事なりと。復諸の疑惑無く、心に大歓喜を生じ、自ら当に仏と作るべきを知れ。
現代語訳
遠い昔から、この涅槃の法をほめたたえ、生死の苦しみは永遠に尽きると、私は常にこのように説いてきました。舎利弗よ、知りなさい。私は、仏道を志し求める仏の子たちが、無量千万億もいるのを見ます。彼らはみな敬いの心をもって仏のもとに来て、かつて諸仏から方便によって説かれた法を聞きました。私はそのときこう思いました。如来が世に出る理由は、仏の智慧を説くためである。今こそその時だ、と。舎利弗よ、知りなさい。能力が鈍く智慧の少ない人、姿かたちにとらわれて驕り高ぶる者は、この法を信じることができません。今、私は喜びのうちに恐れなく、菩薩たちの中で、まっすぐに方便を捨て、ただ無上の道だけを説きます。菩薩たちがこの法を聞けば、疑いの網はすべて除かれます。千二百人の阿羅漢も、ことごとく仏になるでしょう。三世の諸仏が法を説く作法と同じように、私も今、分け隔てのない法を説きます。諸仏が世に現れることは遥かに遠く、めぐり会うことは難しい。たとえ世に出られても、この法を説かれることはさらに難しい。無量無数の劫を経ても、この法を聞くことは難しく、この法を聴くことのできる人もまた得がたいのです。たとえば優曇華の花は、誰もが愛でるものですが、天人にとっても稀であり、時折ようやく一度だけ咲きます。法を聞いて喜んでたたえ、たった一言でも発すれば、それはもう三世のすべての仏を供養したことになります。このような人は非常に稀で、優曇華よりもなお稀です。あなたたちよ、疑ってはなりません。私は諸法の王として、広く大衆に告げます。ただ一乗の道だけで菩薩たちを教え導くのであり、声聞の弟子というものはいません。舎利弗よ、あなたたち声聞も菩薩も、この妙法が諸仏の秘要であることを知りなさい。五濁の悪世では、人々はただ欲に執着します。そのような衆生は、ついに仏道を求めません。未来の世の悪人は、仏が一乗を説くのを聞いても、迷い惑って信じ受け入れず、法を破って悪道に堕ちるでしょう。恥じる心があり、清らかで、仏道を志し求める者のためには、広く一乗の道をほめたたえて説くのがよいのです。舎利弗よ、知りなさい。諸仏の法はこのようなものであり、万億の方便によって、相手に応じて法を説きます。学び習わない者は、これを理解できません。あなたたちはすでにこのことを知りました。諸仏は世の師であり、相手に応じて方便を用いるのです。もはや疑いや迷いはなく、心に大きな喜びを生じ、自分もやがて仏になるのだと知りなさい。
解説

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