法華経 / 譬喻品第三(18)
生受楚毒,死被瓦石,斷佛種故,受斯罪報。若作駱駝,或生驢中,身常負重,加諸杖捶, 但念水草,餘無所知,謗斯經故,獲罪如是。有作野干,來入聚落,身體疥癩,又無一目, 為諸童子,之所打擲,受諸苦痛,或時致死。於此死已,更受蟒身,其形長大,五百由旬, 聾騃無足,宛轉腹行,為諸小蟲,之所咂食,晝夜受苦,無有休息,謗斯經故,獲罪如是。 若得為人,諸根闇鈍,矬陋攣躄,盲聾背傴,有所言說,人不信受,口氣常臭,鬼魅所著, 貧窮下賤,為人所使,多病痟瘦,無所依怙,雖親附人,人不在意,若有所得,尋復忘失。 若修醫道,順方治病,更增他疾,或復致死。若自有病,無人救療,設服良藥,而復增劇。 若他反逆、抄劫竊盜,如是等罪,橫羅其殃。如斯罪人,永不見佛,眾聖之王,說法教化, 如斯罪人,常生難處,狂聾心亂,永不聞法。於無數劫、如恒河沙,生輒聾啞,諸根不具、 常處地獄,如遊園觀,在餘惡道,如己舍宅,駝驢豬狗、是其行處,謗斯經故,獲罪如是。 若得為人,聾盲瘖啞、貧窮諸衰、以自莊嚴,水腫乾痟、疥癩癰疽、如是等病,以為衣服, 身常臭處,垢穢不淨,深著我見,增益瞋恚,淫欲熾盛,不擇禽獸,謗斯經故,獲罪如是。
新字:生受楚毒,死被瓦石,断仏種故,受斯罪報。若作駱駝,或生驢中,身常負重,加諸杖捶, 但念水草,余無所知,謗斯経故,獲罪如是。有作野干,来入聚落,身体疥癩,又無一目, 為諸童子,之所打擲,受諸苦痛,或時致死。於此死已,更受蟒身,其形長大,五百由旬, 聾騃無足,宛転腹行,為諸小虫,之所咂食,昼夜受苦,無有休息,謗斯経故,獲罪如是。 若得為人,諸根闇鈍,矬陋攣躄,盲聾背傴,有所言説,人不信受,口気常臭,鬼魅所著, 貧窮下賤,為人所使,多病痟痩,無所依怙,雖親附人,人不在意,若有所得,尋復忘失。 若修医道,順方治病,更增他疾,或復致死。若自有病,無人救療,設服良薬,而復增劇。 若他反逆、抄劫窃盗,如是等罪,横羅其殃。如斯罪人,永不見仏,衆聖之王,説法教化, 如斯罪人,常生難処,狂聾心乱,永不聞法。於無数劫、如恒河沙,生輒聾唖,諸根不具、 常処地獄,如遊園観,在余悪道,如己舎宅,駝驢豬狗、是其行処,謗斯経故,獲罪如是。 若得為人,聾盲瘖唖、貧窮諸衰、以自荘厳,水腫乾痟、疥癩癰疽、如是等病,以為衣服, 身常臭処,垢穢不浄,深著我見,增益瞋恚,淫欲熾盛,不択禽獣,謗斯経故,獲罪如是。
書き下し
生きては楚毒を受け、死しては瓦石を被る。仏種を断ずるが故に、斯の罪報を受く。若しは駱駝と作り、或いは驢の中に生まれ、身常に重きを負い、諸の杖捶を加えらる、 但水草を念いて、余は知る所無し。斯の経を謗るが故に、罪を獲ること是の如し。野干と作ること有りて、聚落に来入し、身体は疥癩にして、又一目無く、 諸の童子の為に、打擲せられ、諸の苦痛を受け、或る時は死に致る。此に於いて死し已りて、更に蟒身を受く、其の形長大にして、五百由旬、 聾騃にして足無く、宛転として腹行し、諸の小虫の為に、咂い食まれ、昼夜に苦を受けて、休息有ること無し。斯の経を謗るが故に、罪を獲ること是の如し。 若し人と為ることを得ても、諸根闇鈍にして、矬陋・攣躄、盲聾・背傴なり、言説する所有るも、人信受せず、口気常に臭く、鬼魅の著する所となり、 貧窮下賤にして、人に使われ、多病・痟痩にして、依怙する所無し。人に親附すと雖も、人在意せず、若し得る所有るも、尋いで復忘失す。 若し医道を修め、方に順いて病を治すれば、更に他の疾を増し、或いは復死に致らしむ。若し自ら病有るも、救療する人無く、設い良薬を服すとも、而も復増劇す。 若しは他の反逆・抄劫・竊盗するに、是の如き等の罪、横に其の殃に羅る。斯の如き罪人は、永く仏を見たてまつらず、衆聖の王の、説法し教化したまうを、 斯の如き罪人は、常に難処に生まれ、狂聾にして心乱れ、永く法を聞かず。無数劫に於いて、恒河沙の如く、生まるる輒に聾啞にして、諸根具わらず、 常に地獄に処すること、園観に遊ぶが如く、余の悪道に在ること、己が舎宅の如し。駝・驢・猪・狗は、是れ其の行処なり。斯の経を謗るが故に、罪を獲ること是の如し。 若し人と為ることを得ても、聾盲・瘖啞・貧窮・諸衰を、以て自ら荘厳とし、水腫・乾痟・疥癩・癰疽、是の如き等の病を、以て衣服と為し、 身は常に臭き処にして、垢穢不浄なり、深く我見に著し、瞋恚を増益し、淫欲熾盛にして、禽獣を択ばず。斯の経を謗るが故に、罪を獲ること是の如し。
現代語訳
生きては激しい苦痛を受け、死んでは瓦や石をぶつけられます。仏の種を断つがゆえに、この罪の報いを受けます。あるいは駱駝となり、あるいは驢馬の中に生まれ、身に常に重荷を負わされ、さまざまに杖で打たれ、ただ水と草を思うだけで、他には何も知りません。この経を謗るがゆえに、罪を得ることはこのようです。野干となって、村に入り、体は疥癬で、片目もなく、子どもたちに打たれ投げつけられ、さまざまな苦痛を受け、ときには死に至ります。ここで死んだ後は、さらに大蛇の身を受け、その姿は長大で五百由旬にも及び、聾で愚かで足がなく、くねりながら腹で這い、小さな虫たちに食われ、昼夜に苦を受けて休むことがありません。この経を謗るがゆえに、罪を得ることはこのようです。もし人となることができても、諸根が暗く鈍く、背が低く醜く、手足が曲がり、盲目で聾で背が曲がり、言うことがあっても人に信じられず、口の臭いが常にあり、鬼魅に取りつかれ、貧しく卑しく、人に使われ、病が多くやせ衰え、頼るところがありません。人に親しんでも、人は気に留めず、何かを得ても、すぐにまた失います。もし医の道を修めて、処方に従って病を治しても、かえって他の病を増やし、あるいは死に至らせます。自分が病気になっても、救い治す人がなく、たとえ良薬を飲んでもさらに悪化します。他人が反逆し、略奪し、盗むようなことがあれば、このような罪の災いが理不尽に彼にもかかります。このような罪人は、永く仏が聖者の王として法を説き教化されるのに会うことがありません。このような罪人は、常に難所に生まれ、狂い聾して心が乱れ、永く法を聞きません。無数の劫の間、ガンジス河の砂の数のように、生まれるたびに聾唖で、諸根が備わらず、常に地獄にいることは遊園を巡るようであり、他の悪道にいることは自分の家のようで、駱駝・驢馬・豚・犬が彼の行く場所となります。この経を謗るがゆえに、罪を得ることはこのようです。もし人となることができても、聾、盲、唖、貧窮などの衰えを自らの飾りとし、水腫、やせ衰え、疥癬、腫れ物などの病を衣服とし、体は常に臭い所にあって、垢と汚れで不浄で、深く我見に執着し、怒りを増し、淫欲が盛んで、禽獣をも選びません。この経を謗るがゆえに、罪を得ることはこのようです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
法華経・譬喻品第三(17)是の人何に於いてか、解脱を得ん、但虚妄を離るるを、名づけて解脱と為すのみ、其の実には未だ一切の解脱を得ず。仏は説きたまう、是の人は未だ実には滅度せず、 斯の人は未だ、無上道を得ざるが故に、我が意は、滅度に至らしむることを欲せず、と。我は法王として、法に於いて自在なり、衆生を安穏にせんが故に、世に現ず。 汝舎利弗、我が此の法印は、利益せんと欲するが為に、世間の為の故に説く、遊方する所に在りては、妄りに宣伝すること勿れ。若し聞く者有りて、随喜して頂受せば、 当に知るべし是の人は、阿鞞跋致なり。若し此の経法を信受すること有らん者は、是の人已に曽て、過去の仏を見たてまつり、恭敬し供養し、亦是の法を聞けり。 若し人能く、汝が所説を信ずること有らば、則ち我を見、亦汝、及び比丘僧、並びに諸の菩薩を見ると為す。斯の法華経は、深智の為に説く、 浅識は之を聞きて、迷惑して解せず、一切の声聞、及び辟支仏は、此の経の中に於いて、力の及ばざる所なり。汝舎利弗すら、尚此の経に於いて、 信を以て入ることを得たり、況んや余の声聞をや。其の余の声聞は、仏語を信ずるが故に、此の経に随順するも、己の智分に非ず。又舎利弗、憍慢・懈怠、 我見を計する者には、此の経を説くこと莫れ。凡夫の浅識、深く五欲に著せるには、聞くとも解すること能わず、亦為に説くこと勿れ。若し人信ぜずして、此の経を譭謗せば、 則ち一切世間の仏種を断ず。或いは復顰蹙して、疑惑を懐かば、汝当に聴け、此の人の罪報を説かん。若しは仏在世にても、若しは滅度の後にても、 其れ斯の如き経典を誹謗し、経を読誦し書持する者有るを見て、軽賤し憎嫉して、結恨を懐くこと有らば、此の人の罪報を、汝今復聴け、 其の人命終して、阿鼻獄に入り、一劫を具足し、劫尽きて更に生まれ、是の如く展転して、無数劫に至り、地獄より出でて、当に畜生に墮つべし、 若しは狗・野干となり、其の形は頷痩し、黧黮・疥癩にして、人に触嬈せられ、又復人に、悪賤せられ、常に饑渇に困しみ、骨肉枯竭す、
-
法華経・普賢菩薩勸發品第二十八(5)「普賢よ、若し後世に於いて、是の経典を受持し読誦する者は、是の人復衣服、臥具、飲食、資生の物に貪著せず、所願虚しからず、亦現世に於いて其の福報を得ん。若し人有りて之を軽毀して、言わん、汝は狂人なるのみ、空しく是の行を作して、終に獲る所無けん、と。是の如き罪報は、当に世世に眼無かるべし。若し之を供養し讃歎する者有らば、当に今世に於いて現の果報を得べし。若し復是の経を受持する者を見て、其の過悪を出ださば、若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑する者有らば、当に世世に牙歯疎き欠け、醜き唇、平たき鼻、手脚繚戻し、眼目角睞し、身体臭穢にして、悪瘡、膿血、水腹、短気、諸の悪重病あるべし。是の故に普賢よ、若し是の経典を受持する者を見ては、当に起ちて遠く迎うべし。当に仏を敬うが如くすべし。」 是の普賢勧発品を説きたまいし時、恒河沙等の無量無辺の菩薩、百千万億の旋陀羅尼を得、三千大千世界微塵等の諸菩薩、普賢の道を具えたり。仏、是の経を説きたまいし時、普賢等の諸菩薩、舎利弗等の諸声聞、及び諸天、龍、人非人等、一切の大会、皆大いに歓喜し、仏語を受持して、礼を作して去りにき。
-
『十善法語』巻第一・不殺生戒又華厳経ニ。十不善業ノ久遠長時其苦報相続スルコトヲ説ク中ニ。殺生之罪能令衆生堕於地獄畜生餓鬼。若生人中得二種果報。一者短命。二者多病トアル。此中殺生ノ罪ハ自ラ仏性ニ背ク。此人間世界天地生育ノ理ニ違フ。人ノ人タル道ニ背ク。此ニ由テ自性法界清浄妙心ノ中ニ地獄ヲ建立スルシヤ。大火ヲ現スルシヤ。大水ヲ現スルシヤ。諸ノ獄卒ヲ現スルシヤ。百千万年却数ヲ建立シテ。此中ニ頭出頭没スルシヤ。水穀ノ名字ヲモ聞ヌ餓鬼界ヲ建立スルシヤ。義理ヲ弁セス。互ニ相暾害スル畜生界ヲ建立スルシヤ。此ヲ三悪趣ニ堕スト云。此カ正シキ殺生業道ノ報シヤ。
-
法華経・譬喻品第三(19)舎利弗に告ぐ、斯の経を謗る者は、若し其の罪を説かば、劫を窮むとも尽きず。是の因縁を以て、我故に汝に語る、無智の人の中にて、此の経を説くこと莫れ。 若し利根にして、智慧明了に、多聞強識、仏道を求むる者有らば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し人曽て、億百千の仏を見、 諸の善本を植え、深心堅固ならば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し人精進して、常に慈心を修し、身命を惜しまずんば、乃ち為に説く可し。 若し人恭敬して、異心有ること無く、諸の凡愚を離れ、山沢に独処せば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。又舎利弗、若し人有りて、 悪知識を捨て、善友に親近するを見ば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し仏子の、持戒清潔にして、浄き明珠の如く、大乗経を求むるを見ば、 是の如きの人には、乃ち為に説く可し。若し人瞋り無く、質直柔軟にして、常に一切を愍れみ、諸仏を恭敬せば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。 復仏子有りて、大衆の中に於いて、清浄の心を以て、種種の因縁・譬喩言辞をもって、説法して無礙ならば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。 若し比丘有りて、一切智の為に、四方に法を求め、合掌して頂受し、但大乗経典を受持するを楽い、乃至余経の一偈をも受けずば、 是の如きの人には、乃ち為に説く可し。人の至心に、仏舎利を求むるが如く、是の如く経を求め、得已りて頂受し、其の人復、余経を志求せず、 亦未だ曽て、外道の典籍を念わずば、是の如きの人には、乃ち為に説く可し。舎利弗に告ぐ、我是の相を説かば、仏道を求むる者のため、劫を窮むとも尽きず、 是の如き等の人は、則ち能く信解せん、汝当に為に、妙法華経を説くべし。
-
法華経・勸持品第十三(3)惟願わくは慮りを為したまわざれ。仏の滅度の後、恐怖悪世の中にて、我等、当に広く説くべし。諸の無智の人の、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らんも、我等皆当に忍ぶべし。 悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを得たりと謂い、我慢の心充満せん。或いは阿練若に、納衣にして空閑に在り、自ら真道を行ずと謂いて、人間を軽賤する者有らん。 利養に貪著するが故に、白衣の与に法を説き、世に恭敬せらるること、六通の羅漢の如くならん。是の人は悪心を懐き、常に世俗の事を念い、阿練若に仮名して、好んで我等が過ちを出ださん。 而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貪るが故に、外道の論議を説き、自ら此の経典を作りて、世間の人を誑惑す。名聞を求むるが故に、是の経を分別して、 常に大衆の中に在りて、我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士、及び余の比丘衆に向かいて、誹謗して我が悪を説き、是れ邪見の人にして、外道の論議を説くと謂わん。 我等は仏を敬うが故に、悉く是の諸悪を忍ばん。斯れが為に軽んじて、汝等は皆是れ仏なりと言われん。此の如き軽慢の言も、皆当に之を忍受すべし。濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有り、 悪鬼、其の身に入りて、我を罵詈し毀辱せん。我等は仏を敬信して、当に忍辱の鎧を著、是の経を説かんが為の故に、此の諸の難事を忍ぶべし。我は身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ。 我等、来世に於いて、仏の囑したまう所を護持せん。世尊、自ら当に知しめせ。濁世の悪比丘は、仏の方便、宜しきに随って説きたもう所の法を知らず、悪口して顰蹙し、数数擯出せられ、 塔寺を遠離せん。是の如き等の衆悪も、仏の告敕を念ずるが故に、皆当に是の事を忍ぶべし。諸の聚落・城邑に、其れ法を求むる者有らば、我、皆、其の所に到りて、仏の囑したまう法を説かん。 我は是れ世尊の使いなり。衆に処して畏るる所無し。我、当に善く法を説くべし。願わくは仏、安穏に住したまえ。我、世尊の前、諸の来れる十方の仏に於いて、是の如き誓言を発す。仏、自ら我が心を知しめせ。
-
法華経・法師品第十(3)若し仏道に住して、自然智を成就せんと欲せば、常に当に勤めて、法華を受持する者を供養すべし。其れ疾く一切種智慧を得んと欲すること有らば、当に是の経を受持し、並びに持者を供養すべし。 若し能く、妙法華経を受持する者有らば、当に知るべし、仏の所使にして、諸の衆生を愍念すと。諸有る能く妙法華経を受持する者は、清浄の土を捨てて、衆を愍れむが故に此に生ず。 当に知るべし、是の如き人は、自在に生ぜんと欲する所にして、能く此の悪世に於いて、広く無上の法を説く。応に天の華香、及び天の宝衣服、天上の妙宝聚を以て、説法者を供養すべし。 吾が滅後の悪世に、能く是の経を持つ者をば、当に合掌して礼敬すること、世尊を供養するが如くすべし。上饌・衆の甘美、及び種種の衣服をもて、是の仏子を供養し、冀わくは須臾も聞くことを得ん。 若し能く後世に、是の経を受持せん者は、我、遣わして人中に在りて、如来の事を行ぜしむ。若し一劫の中に、常に不善の心を懐き、色を作して仏を罵らば、無量の重罪を獲ん。 其れ是の法華経を読誦し持つこと有らん者を、須臾も悪言を加えば、其の罪、復た彼に過ぎん。人有りて仏道を求め、而も一劫の中に、合掌して我が前に在り、無数の偈を以て讃えんに、 是の仏を讃うるに由るが故に、無量の功徳を得ん。持経者を歎美せば、其の福、復た彼に過ぎん。八十億劫に於いて、最妙の色・声、及び香・味・触を以て、持経者を供養せんに、 是の如く供養し已って、若し須臾も聞くことを得ば、則ち応に自ら欣慶すべし、我、今、大利を獲たりと。藥王、今汝に告ぐ、我が説く所の諸経の中に於いて、此の経の中に、法華最も第一なり。 爾の時、仏、復た藥王菩薩摩訶薩に告げたまわく、「我が説く所の経典は、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経は、最も難信難解なり。藥王、此の経は是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して、妄りに人に授与すべからず。諸仏世尊の守護したもう所にして、昔より已来、未だ曽て顕説せず。而も此の経は、如来の現在すら、猶お怨嫉多し。況んや滅度の後をや。」