法華経 / 方便品第二(12)
或以歡喜心,歌唄頌佛德,乃至一小音,皆已成佛道。 若人散亂心,乃至以一華,供養於畫像,漸見無數佛。 或有人禮拜,或復但合掌,乃至舉一手,或復小低頭, 以此供養像,漸見無量佛。自成無上道,廣度無數眾、 入無餘涅槃,如薪盡火滅。若人散亂心,入於塔廟中, 一稱南無佛,皆已成佛道。於諸過去佛,在世或滅後, 若有聞是法,皆已成佛道。未來諸世尊,其數無有量, 是諸如來等,亦方便說法。一切諸如來,以無量方便、 度脫諸眾生,入佛無漏智,若有聞法者,無一不成佛。 諸佛本誓願,我所行佛道,普欲令眾生、亦同得此道。 未來世諸佛,雖說百千億、無數諸法門,其實為一乘。 諸佛兩足尊,知法常無性,佛種從緣起,是故說一乘。 是法住法位,世間相常住,於道場知已,導師方便說。 天人所供養、現在十方佛,其數如恒沙,出現於世間, 安隱眾生故,亦說如是法。知第一寂滅,以方便力故, 雖示種種道,其實為佛乘。知眾生諸行,深心之所念, 過去所習業,欲性精進力,及諸根利鈍,以種種因緣、 譬喻亦言辭,隨應方便說。今我亦如是,安隱眾生故, 以種種法門、宣示於佛道。我以智慧力,知眾生性欲, 方便說諸法,皆令得歡喜。舍利弗當知,我以佛眼觀,
新字:或以歓喜心,歌唄頌仏徳,乃至一小音,皆已成仏道。 若人散乱心,乃至以一華,供養於画像,漸見無数仏。 或有人礼拝,或復但合掌,乃至舉一手,或復小低頭, 以此供養像,漸見無量仏。自成無上道,広度無数衆、 入無余涅槃,如薪尽火滅。若人散乱心,入於塔廟中, 一称南無仏,皆已成仏道。於諸過去仏,在世或滅後, 若有聞是法,皆已成仏道。未来諸世尊,其数無有量, 是諸如来等,亦方便説法。一切諸如来,以無量方便、 度脱諸衆生,入仏無漏智,若有聞法者,無一不成仏。 諸仏本誓願,我所行仏道,普欲令衆生、亦同得此道。 未来世諸仏,雖説百千億、無数諸法門,其実為一乗。 諸仏両足尊,知法常無性,仏種従縁起,是故説一乗。 是法住法位,世間相常住,於道場知已,導師方便説。 天人所供養、現在十方仏,其数如恒沙,出現於世間, 安隠衆生故,亦説如是法。知第一寂滅,以方便力故, 雖示種種道,其実為仏乗。知衆生諸行,深心之所念, 過去所習業,欲性精進力,及諸根利鈍,以種種因縁、 譬喩亦言辞,随応方便説。今我亦如是,安隠衆生故, 以種種法門、宣示於仏道。我以智慧力,知衆生性欲, 方便説諸法,皆令得歓喜。舎利弗当知,我以仏眼観,
書き下し
或いは歓喜の心をもって、歌唄して仏徳を頌し、乃至一つの小音なるも、皆な已に仏道を成ぜり。 若し人、散乱の心にして、乃至一華をもって、画像に供養せば、漸く無数の仏を見たてまつらん。 或いは人の礼拝し、或いは復た但だ合掌し、乃至一手を挙げ、或いは復た小しく頭を低るるも、 此れを以て像に供養せば、漸く無量の仏を見たてまつり、自ら無上道を成じ、広く無数の衆を度し、 無余涅槃に入ること、薪尽きて火の滅するが如くならん。若し人、散乱の心にして、塔廟の中に入り、 一たび南無仏と称せば、皆な已に仏道を成ぜり。諸の過去仏の、在世、或いは滅後に、 若し是の法を聞く有らば、皆な已に仏道を成ぜり。未来の諸の世尊、其の数、量り有ること無し、 是の諸の如来等も、亦た方便して法を説きたまわん。一切の諸の如来は、無量の方便をもって、 諸の衆生を度脱し、仏の無漏の智に入らしめたまう。若し法を聞く者有らば、一として成仏せざること無し。 諸仏の本誓願は、我が行ずる所の仏道を、普く衆生をして、亦た同じく此の道を得しめんと欲するなり。 未来世の諸仏は、百千億の、無数の諸の法門を説くと雖も、其の実は一乗の為なり。 諸仏両足尊は、法は常に無性なりと知り、仏種は縁より起こる。是の故に一乗を説きたもう。 是の法は法位に住し、世間の相は常住なり。道場に於いて知り已りて、導師、方便して説きたもう。 天・人の供養する所の、現在の十方の仏、其の数恒沙の如く、世間に出現したもうは、 衆生を安穏にせんが故に、亦た是くの如き法を説きたもう。第一の寂滅を知り、方便力をもっての故に、 種種の道を示すと雖も、其の実は仏乗の為なり。衆生の諸の行、深心の念う所、 過去に習える業、欲性、精進力、及び諸根の利鈍を知り、種種の因縁、 譬喩及び言辞をもって、応ずるに随い方便して説きたもう。今、我れも亦た是くの如く、衆生を安穏にせんが故に、 種種の法門をもって、仏道を宣示す。我れ智慧力をもって、衆生の性欲を知り、 方便して諸法を説き、皆な歓喜を得せしむ。舎利弗当に知るべし、我れ仏眼をもって観るに、
現代語訳
あるいは喜びの心で、歌をうたって仏の徳をたたえるなら、たとえ一つの小さな音であっても、みなすでに仏道を成就しています。 もし人が心が散り乱れていても、一輪の花で絵の像に供養するなら、次第に無数の仏にまみえるでしょう。 あるいは人が礼拝し、あるいはただ合掌し、あるいは一方の手を挙げ、あるいはわずかに頭を下げるだけでも、 これによって像に供養するなら、次第に無数の仏にまみえ、自らこの上ない道を成就し、広く無数の衆生を救い、 無余涅槃に入ることは、薪が尽きて火が消えるようでしょう。もし人が心が散り乱れていても、塔や廟に入り、 ただ一度、南無仏と称えるなら、みなすでに仏道を成就しています。多くの過去の仏が、在世のときでも滅後のときでも、 もしこの法を聞いた人がいるなら、みなすでに仏道を成就しています。未来の諸の世尊は、その数に限りがなく、 これらの如来たちも、また方便をもって法を説かれるでしょう。すべての如来は、無数の方便によって、 衆生を救い出し、仏の煩悩の漏れのない智慧に入らせます。もし法を聞く者がいるなら、一人として成仏しない者はありません。 諸仏の本来の誓願は、私が行じている仏道を、すべての衆生にも同じく得させたい、ということです。 未来世の諸仏は、百千億の無数の法門を説かれるとしても、その本当の目的は一乗のためです。 諸仏、両足尊は、法には常に固定した本性がないことを知り、仏となる種は縁から起こると知っています。だから一乗を説かれます。 この法は法の位に住し、世間の相は常に住しています。道場でこれを知り終えて、導師は方便をもって説かれます。 天や人に供養される、現在の十方の仏は、その数ガンジス川の砂のようで、世間に出現されるのは、 衆生を安穏にするためです。同じようにこの法を説かれます。第一の寂滅を知り、方便の力によって、 さまざまな道を示されても、その本当の目的は仏乗のためです。衆生のさまざまな行い、心の奥の思い、 過去に習った業、欲の性質、精進の力、そして諸根の鋭さと鈍さを知り、さまざまな因縁、 譬えや言葉によって、それぞれに応じて方便して説かれます。いま私もまた同じです。衆生を安穏にするために、 さまざまな法門によって、仏道を示し宣べています。私は智慧の力で、衆生の性質や欲を知り、 方便によって諸法を説き、皆に歓喜を得させます。舎利弗よ、知りなさい。私が仏の眼で観るところでは、
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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法華経・方便品第二(11)是くの如き諸の世尊は、種種の縁・譬喩、無数の方便力をもって、諸法の相を演説したもう。 是の諸の世尊等は、皆な一乗の法を説き、無量の衆生を化して、仏道に入らしめたもう。 又た諸の大聖主は、一切世間の天・人・群生類の、深心の欲する所を知り、 更に異なる方便をもって、第一義を助け顕したもう。若し衆生の類、諸の過去の仏に値い、 若しは法を聞き、布施し、或いは持戒・忍辱・精進・禅・智等、種種に福慧を修せば、 是くの如き諸人等は、皆な已に仏道を成ぜり。諸仏の滅度し已りて、若し人、善軟の心にして、 是くの如き諸の衆生は、皆な已に仏道を成ぜり。諸仏の滅度し已りて、舎利を供養する者、 万億種の塔を起て、金・銀及び玻璃、硨磲と瑪瑙、玫瑰・琉璃珠をもって、 清浄に広く厳飾し、諸の塔を荘校す。或いは石廟を起つる有り、栴檀及び沈水、 木蜜并びに余の材、塼瓦・泥土等をもってす。若しは曠野の中に於いて、土を積んで仏廟を成し、 乃至童子の戯れに、沙を聚めて仏塔と為すも、是くの如き諸人等は、皆な已に仏道を成ぜり。 若し人、仏の為の故に、諸の形像を建立し、刻み彫りて衆相を成せば、皆な已に仏道を成ぜり。 或いは七宝をもって成し、鋀石、赤白の銅、白鑞及び鉛・錫、鉄・木及び泥をもってし、 或いは膠漆・布をもって、厳飾して仏像を作らば、是くの如き諸人等は、皆な已に仏道を成ぜり。 彩画して仏像を作り、百福荘厳の相をなさば、自ら作り、若しは人をして作らしむるも、皆な已に仏道を成ぜり。 乃至童子の戯れに、若しは草木及び筆、或いは指爪甲をもって、画きて仏像を作らば、 是くの如き諸人等は、漸漸に功徳を積み、大悲心を具足して、皆な已に仏道を成ぜり。 但だ諸の菩薩を化し、無量の衆を度脱す。若し人、塔廟、宝像及び画像に於いて、 華香・幡蓋をもって、敬心して供養し、若しは人をして楽を作さしめ、鼓を撃ち、角貝を吹き、 簫・笛・琴・箜篌、琵琶・鐃・銅鈸、是くの如き衆の妙音を、尽く持って供養し、
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法華経・方便品第二(9)比丘・比丘尼の、増上慢を懐くもの有り、優婆塞の我慢なる、優婆夷の不信なる、 是くの如き四衆等の、其の数五千有り。自ら其の過ちを見ず、戒に於いて欠漏有り、 其の瑕疵を護り惜しむ。是の小智の者は已に出ず、衆中の糟糠なり、仏の威徳の故に去る、 斯の人は福徳鮮く、是の法を受くるに堪えず。此の衆に枝葉無く、唯だ諸の貞実有るのみ。 舎利弗よ、善く聴け。諸仏の得たまえる法は、無量の方便力をもって、衆生の為に説きたまう。 衆生の心の念う所、種種の行ずる所の道、若干の諸の欲性、先世の善悪の業を、 仏、悉く是れを知り已りて、諸の縁・譬喩、言辞・方便力をもって、一切をして歓喜せしむ。 或いは修多羅、伽陀、及び本事、本生、未曾有を説き、亦た因縁、 譬喩、并びに祇夜、優波提舎経を説く。鈍根にして小法を楽い、生死に貪著し、 諸の無量の仏に於いて、深妙の道を行ぜず、衆苦に悩乱せらるる者には、是の為に涅槃を説く。 我れ是の方便を設けて、仏慧に入ることを得しむるも、未だ曾て汝等が、当に仏道を成ずることを得べしと説かず。 未だ曾て説かざる所以は、説く時未だ至らざるが故なり。今正に是れ其の時なり、決定して大乗を説く。 我が此の九部の法は、衆生に随順して説く。大乗に入るを本と為す、以ての故に是の経を説く。 仏子の心浄く、柔軟にして亦た利根に、無量の諸仏の所にして、深妙の道を行ずる有り。 此の諸の仏子の為に、是の大乗経を説く。我れ是くの如き人は、来世に仏道を成ぜんと記す、 深心をもって仏を念じ、浄戒を修持するが故に。此れ等、仏を得べしと聞きて、大喜、身に充遍す。 仏、彼の心行を知れり、故に為に大乗を説く。声聞若しは菩薩、我が所説の法を聞かば、 乃至一偈なるも、皆な成仏すること疑い無し。十方の仏土の中に、唯だ一乗の法のみ有り、 二も無く亦た三も無し。仏の方便の説を除き、但だ仮の名字を以て、衆生を引導して、 仏の智慧を説かんが為の故なり。諸仏の世に出でたもうは、唯だ此の一事のみ実なり、余の二は則ち真に非ず、
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