法華経 / 方便品第二(6)
「如是妙法,諸佛如來、時乃說之,如優曇缽華,時一現耳。舍利弗,汝等當信佛之所說,言不虛妄。舍利弗,諸佛隨宜說法,意趣難解。所以者何。我以無數方便、種種因緣、譬喻言辭、演說諸法,是法、非思量分別之所能解,唯有諸佛乃能知之。所以者何。諸佛世尊唯以一大事因緣故、出現於世。舍利弗,云何名諸佛世尊唯以一大事因緣故、出現於世。諸佛世尊欲令眾生開佛知見、使得清淨故,出現於世。欲示眾生、佛之知見故,出現於世。欲令眾生悟佛知見故,出現於世。欲令眾生入佛知見道故,出現於世。舍利弗,是為諸佛以一大事因緣故、出現於世。」 佛告舍利弗:「諸佛如來但教化菩薩,諸有所作,常為一事,唯以佛之知見、示悟眾生。舍利弗,如來但以一佛乘故,為眾生說法,無有餘乘,若二、若三。舍利弗,一切十方諸佛,法亦如是。」
新字:「如是妙法,諸仏如来、時乃説之,如優曇鉢華,時一現耳。舎利弗,汝等当信仏之所説,言不虚妄。舎利弗,諸仏随宜説法,意趣難解。所以者何。我以無数方便、種種因縁、譬喩言辞、演説諸法,是法、非思量分別之所能解,唯有諸仏乃能知之。所以者何。諸仏世尊唯以一大事因縁故、出現於世。舎利弗,云何名諸仏世尊唯以一大事因縁故、出現於世。諸仏世尊欲令衆生開仏知見、使得清浄故,出現於世。欲示衆生、仏之知見故,出現於世。欲令衆生悟仏知見故,出現於世。欲令衆生入仏知見道故,出現於世。舎利弗,是為諸仏以一大事因縁故、出現於世。」 仏告舎利弗:「諸仏如来但教化菩薩,諸有所作,常為一事,唯以仏之知見、示悟衆生。舎利弗,如来但以一仏乗故,為衆生説法,無有余乗,若二、若三。舎利弗,一切十方諸仏,法亦如是。」
書き下し
「是くの如き妙法は、諸仏如来、時に乃ち之を説きたもう、優曇鉢華の、時に一たび現ずるが如きのみ。舎利弗、汝等当に仏の説きたもう所を信ずべし、言は虚妄ならず。舎利弗、諸仏は宜しきに随いて法を説きたもう、意趣解し難し。所以は何ん。我れ無数の方便、種種の因縁、譬喩言辞をもって、諸法を演説す。是の法は、思量分別の解する所に非ず、唯だ諸仏のみ乃ち能く之を知れり。所以は何ん。諸仏世尊は、唯だ一大事因縁を以ての故に、世に出現したもう。舎利弗、云何なるを諸仏世尊は唯だ一大事因縁を以ての故に世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏の知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏の知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏の知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏の知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は一大事因縁を以ての故に世に出現したもうと為す」と。 仏、舎利弗に告げたまわく、「諸仏如来は但だ菩薩を教化したもう。諸有の所作は、常に一事の為なり。唯だ仏の知見を以て、衆生に示悟したもう。舎利弗、如来は但だ一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の、若しは二、若しは三有ること無し。舎利弗、一切十方の諸仏も、法も亦た是くの如し」と。
現代語訳
「このような妙なる法は、諸仏如来が、時を得てはじめて説かれるもので、優曇鉢華が、時にただ一度だけ咲くようなものです。舎利弗よ、あなたたちは仏の説くところを信じなさい。その言葉は偽りではありません。舎利弗よ、諸仏は機に応じて法を説かれ、その趣旨は理解しがたいのです。なぜなら、私は無数の方便、さまざまな因縁、譬えと言葉によって、諸法を説いてきたからです。この法は、思いはかって分別する知恵では理解できるものではなく、ただ諸仏だけがこれを知っています。なぜなら、諸仏世尊は、ただ一つの大事な因縁のために、世に出現されるからです。舎利弗よ、どのようなことを、諸仏世尊はただ一つの大事な因縁のために世に出現される、というのでしょうか。諸仏世尊は、衆生に仏の知見を開かせ、清らかにさせようとするために、世に出現されます。衆生に仏の知見を示そうとするために、世に出現されます。衆生に仏の知見を悟らせようとするために、世に出現されます。衆生を仏の知見の道に入らせようとするために、世に出現されます。舎利弗よ、これが諸仏がただ一つの大事な因縁のために世に出現される、ということです」。 仏は舎利弗に告げられました。「諸仏如来は、ただ菩薩を教え導かれます。なされることはすべて、常にただ一つのことのためです。ただ仏の知見を、衆生に示し悟らせることです。舎利弗よ、如来はただ一仏乗のために衆生に法を説かれます。ほかの乗は、二つも三つもありません。舎利弗よ、十方の一切の諸仏も、その法はこのとおりです」。
解説

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法華経・方便品第二(14)久遠劫より来、是の涅槃の法を讃え、生死の苦永く尽くと、我常に是の如く説けり。 舎利弗当に知るべし、我仏子等の、志して仏道を求むる者、無量千万億なるを見る。 咸く恭敬の心を以て、皆仏所に来至し、曾て諸仏に従いて、方便所説の法を聞けり。 我即ち是の念を作す、如来の出づる所以は、仏慧を説かんが為の故なり、今正に是れ其の時なり、と。 舎利弗当に知るべし、鈍根小智の人、相に著し憍慢なる者は、是の法を信ずること能わず。 今我は喜びて畏るる無く、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但無上道を説く。 菩薩是の法を聞かば、疑網皆已に除かれん。千二百の羅漢も、悉く亦当に仏と作るべし。 三世の諸仏の、説法の儀式の如く、我今も亦是の如く、無分別の法を説く。 諸仏の世に興出したまうこと、懸遠にして値遇すること難く、正使世に出でたまうとも、是の法を説きたまうこと復難し。 無量無数劫にも、是の法を聞くこと亦難く、能く是の法を聴く者も、斯の人亦復難し。 譬えば優曇華の、一切皆愛楽し、天人の稀有とする所にして、時時に乃ち一たび出づるが如し。 法を聞きて歓喜し讃え、乃至一言を発せば、則ち已に、一切三世の仏を供養すと為す。 是の人は甚だ稀有にして、優曇華に過ぎたり。汝等疑い有ること勿れ、我は諸法の王たり、 普く諸の大衆に告ぐ、但一乗の道を以て、諸の菩薩を教化し、声聞の弟子無し、と。 汝等舎利弗、声聞及び菩薩よ、当に知るべし、是の妙法は、諸仏の秘要なり。 五濁悪世を以て、但諸欲に楽著す。是の如き等の衆生は、終に仏道を求めず。 当来世の悪人は、仏の一乗を説きたまうを聞きて、迷惑して信受せず、法を破して悪道に堕せん。 慚愧有り清浄にして、志して仏道を求むる者には、当に是の如き等の為に、広く一乗の道を讃むべし。 舎利弗当に知るべし、諸仏の法は是の如く、万億の方便を以て、宜しきに随いて法を説きたまう。 其の習学せざる者は、此れを暁了すること能わず。汝等既に已に知れり、諸仏は世の師にして、 宜しきに随う方便の事なりと。復諸の疑惑無く、心に大歓喜を生じ、自ら当に仏と作るべきを知れ。
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法華経・方便品第二(7)「舎利弗、過去の諸仏も、無量無数の方便、種種の因縁、譬喩言辞をもって、衆生の為に諸法を演説したまいき。是の法は、皆な一仏乗の為なり。是の諸の衆生は、諸仏より法を聞きて、究竟して皆な一切種智を得たり。舎利弗、未来の諸仏も、当に世に出でて、亦た無量無数の方便、種種の因縁、譬喩言辞をもって、衆生の為に諸法を演説したまうべし。是の法は、皆な一仏乗の為なり。是の諸の衆生は、仏より法を聞きて、究竟して皆な一切種智を得ん。舎利弗、現在十方の無量百千万億の仏土の中の、諸仏世尊、多く饒益し、衆生を安楽にしたもう。是の諸仏も、亦た無量無数の方便、種種の因縁、譬喩言辞をもって、衆生の為に諸法を演説したもう。是の法は、皆な一仏乗の為なり。是の諸の衆生は、仏より法を聞きて、究竟して皆な一切種智を得。舎利弗、是の諸仏は、但だ菩薩を教化し、仏の知見を以て衆生に示さんと欲するが故に、仏の知見を以て衆生を悟らしめんと欲するが故に、衆生をして仏の知見に入らしめんと欲するが故なり。舎利弗、我れ今も亦復た是くの如し。諸の衆生に種種の欲あり、深心の著する所あるを知りて、其の本性に随い、種種の因縁、譬喩言辞、方便力をもって、為に法を説く。舎利弗、此くの如きは、皆な一仏乗、一切種智を得んが為の故なり」と。 「舎利弗、十方世界の中に、尚お二乗無し、何に況んや三有らんや。舎利弗、諸仏は五濁悪世に出でたもう。所謂る劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁なり。是くの如く舎利弗、劫濁の乱れたる時、衆生は垢重く、慳貪嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗に於いて分別して三を説きたもう。舎利弗、若し我が弟子、自ら阿羅漢・辟支仏なりと謂う者、諸仏如来の、但だ菩薩を教化したもう事を聞かず知らざれば、此れは仏弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支仏に非ず」と。
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法華経・方便品第二(9)比丘・比丘尼の、増上慢を懐くもの有り、優婆塞の我慢なる、優婆夷の不信なる、 是くの如き四衆等の、其の数五千有り。自ら其の過ちを見ず、戒に於いて欠漏有り、 其の瑕疵を護り惜しむ。是の小智の者は已に出ず、衆中の糟糠なり、仏の威徳の故に去る、 斯の人は福徳鮮く、是の法を受くるに堪えず。此の衆に枝葉無く、唯だ諸の貞実有るのみ。 舎利弗よ、善く聴け。諸仏の得たまえる法は、無量の方便力をもって、衆生の為に説きたまう。 衆生の心の念う所、種種の行ずる所の道、若干の諸の欲性、先世の善悪の業を、 仏、悉く是れを知り已りて、諸の縁・譬喩、言辞・方便力をもって、一切をして歓喜せしむ。 或いは修多羅、伽陀、及び本事、本生、未曾有を説き、亦た因縁、 譬喩、并びに祇夜、優波提舎経を説く。鈍根にして小法を楽い、生死に貪著し、 諸の無量の仏に於いて、深妙の道を行ぜず、衆苦に悩乱せらるる者には、是の為に涅槃を説く。 我れ是の方便を設けて、仏慧に入ることを得しむるも、未だ曾て汝等が、当に仏道を成ずることを得べしと説かず。 未だ曾て説かざる所以は、説く時未だ至らざるが故なり。今正に是れ其の時なり、決定して大乗を説く。 我が此の九部の法は、衆生に随順して説く。大乗に入るを本と為す、以ての故に是の経を説く。 仏子の心浄く、柔軟にして亦た利根に、無量の諸仏の所にして、深妙の道を行ずる有り。 此の諸の仏子の為に、是の大乗経を説く。我れ是くの如き人は、来世に仏道を成ぜんと記す、 深心をもって仏を念じ、浄戒を修持するが故に。此れ等、仏を得べしと聞きて、大喜、身に充遍す。 仏、彼の心行を知れり、故に為に大乗を説く。声聞若しは菩薩、我が所説の法を聞かば、 乃至一偈なるも、皆な成仏すること疑い無し。十方の仏土の中に、唯だ一乗の法のみ有り、 二も無く亦た三も無し。仏の方便の説を除き、但だ仮の名字を以て、衆生を引導して、 仏の智慧を説かんが為の故なり。諸仏の世に出でたもうは、唯だ此の一事のみ実なり、余の二は則ち真に非ず、
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法華経・方便品第二(2)世雄は量るべからず、諸天及び世人、一切衆生の類、能く仏を知る者無し。 仏の力、無所畏、解脱、諸の三昧、及び仏の諸の余の法、能く測量する者無し。 本と無数の仏に従いて、具足して諸の道を行じ、甚深微妙の法は、見難く了すべきこと難し。 無量億劫に於いて、此の諸の道を行じ已りて、道場に果を成ずることを得、我れ已に悉く知見せり。 是くの如き大果報、種種の性相の義は、我れ及び十方の仏のみ、乃ち能く是の事を知る。 是の法は示すべからず、言辞の相寂滅す。諸余の衆生の類は、能く解することを得る者有ること無し、 諸の菩薩衆の、信力堅固なる者を除く。諸仏の弟子衆の、曾て諸仏を供養し、 一切の漏已に尽き、是の最後身に住せる、是くの如き諸人等も、其の力の堪えざる所なり。 仮使い世間に満てるもの、皆な舎利弗の如くにして、尽く思いて共に度量するも、仏智を測ること能わじ。 正使い十方に満てるもの、皆な舎利弗の如く、及び余の諸の弟子も、亦た十方の刹に満ちて、 尽く思いて共に度量するも、亦復た知ること能わじ。辟支仏の利智、無漏の最後身も、 亦た十方界に満ちて、其の数、竹林の如くならんも、斯れ等、一心を共にして、億無量劫に於いて、 仏の実智を思わんと欲するも、少分をも知ること能わじ。新発意の菩薩の、無数の仏を供養し、 諸の義趣を了達し、又た能く善く法を説くもの、稲・麻・竹・葦の如く、十方の刹に充満し、 一心に妙智を以て、恒河沙劫に於いて、咸な皆な共に思量するも、仏智を知ること能わじ。 不退の諸の菩薩の、其の数恒沙の如く、一心に共に思い求むるも、亦復た知ること能わじ。 又た舎利弗に告ぐ、無漏不思議の、甚深微妙の法を、我れ今已に具に得たり、 唯だ我のみ是の相を知る、十方の仏も亦た然り。舎利弗当に知るべし、諸仏の語は異なること無し、 仏の所説の法に於いて、当に大信力を生ずべし。世尊の法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし。 諸の声聞衆、及び縁覚乗を求むる者に告ぐ、我れ苦縛を脱して、涅槃を逮得せしむる者は、 仏は方便力を以て、三乗の教を示す。衆生処処に著するを、之を引きて出ずることを得しむ。
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法華経・方便品第二(1)その時、世尊、三昧より安詳として起ちて、舎利弗に告げたまわく、「諸仏の智慧は、甚深無量なり。其の智慧の門は、解し難く入り難し。一切の声聞・辟支仏の、知ること能わざる所なり。所以は何ん。仏は曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽く諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞こゆ。甚深未曾有の法を成就し、宜しきに随いて説きたまう所、意趣解し難し。舎利弗、吾れ成仏してより已来、種種の因縁、種種の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導し、諸の著を離れしむ。所以は何ん。如来は方便・知見の波羅蜜を、皆な已に具足せるが故なり。舎利弗、如来の知見は、広大深遠にして、無量無礙なり。力・無所畏・禅定・解脱・三昧、深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。舎利弗、如来は能く種種に分別し、巧みに諸法を説き、言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。舎利弗、要を取りて之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり」と。 「止みなん、舎利弗、復た説くことを須いず。所以は何ん。仏の成就したまえる所は、第一の稀有難解の法なり。唯だ仏と仏とのみ、乃ち能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂る諸法の、是くの如き相、是くの如き性、是くの如き体、是くの如き力、是くの如き作、是くの如き因、是くの如き縁、是くの如き果、是くの如き報、是くの如き本末究竟等なり」と。 その時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
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法華経・方便品第二(12)或いは歓喜の心をもって、歌唄して仏徳を頌し、乃至一つの小音なるも、皆な已に仏道を成ぜり。 若し人、散乱の心にして、乃至一華をもって、画像に供養せば、漸く無数の仏を見たてまつらん。 或いは人の礼拝し、或いは復た但だ合掌し、乃至一手を挙げ、或いは復た小しく頭を低るるも、 此れを以て像に供養せば、漸く無量の仏を見たてまつり、自ら無上道を成じ、広く無数の衆を度し、 無余涅槃に入ること、薪尽きて火の滅するが如くならん。若し人、散乱の心にして、塔廟の中に入り、 一たび南無仏と称せば、皆な已に仏道を成ぜり。諸の過去仏の、在世、或いは滅後に、 若し是の法を聞く有らば、皆な已に仏道を成ぜり。未来の諸の世尊、其の数、量り有ること無し、 是の諸の如来等も、亦た方便して法を説きたまわん。一切の諸の如来は、無量の方便をもって、 諸の衆生を度脱し、仏の無漏の智に入らしめたまう。若し法を聞く者有らば、一として成仏せざること無し。 諸仏の本誓願は、我が行ずる所の仏道を、普く衆生をして、亦た同じく此の道を得しめんと欲するなり。 未来世の諸仏は、百千億の、無数の諸の法門を説くと雖も、其の実は一乗の為なり。 諸仏両足尊は、法は常に無性なりと知り、仏種は縁より起こる。是の故に一乗を説きたもう。 是の法は法位に住し、世間の相は常住なり。道場に於いて知り已りて、導師、方便して説きたもう。 天・人の供養する所の、現在の十方の仏、其の数恒沙の如く、世間に出現したもうは、 衆生を安穏にせんが故に、亦た是くの如き法を説きたもう。第一の寂滅を知り、方便力をもっての故に、 種種の道を示すと雖も、其の実は仏乗の為なり。衆生の諸の行、深心の念う所、 過去に習える業、欲性、精進力、及び諸根の利鈍を知り、種種の因縁、 譬喩及び言辞をもって、応ずるに随い方便して説きたもう。今、我れも亦た是くの如く、衆生を安穏にせんが故に、 種種の法門をもって、仏道を宣示す。我れ智慧力をもって、衆生の性欲を知り、 方便して諸法を説き、皆な歓喜を得せしむ。舎利弗当に知るべし、我れ仏眼をもって観るに、