法華経 / 方便品第二(13)
見六道眾生,貧窮無福慧,入生死險道,相續苦不斷, 深著於五欲,如犛牛愛尾、以貪愛自弊,盲瞑無所見。 不求大勢佛、及與斷苦法,深入諸邪見,以苦欲捨苦。 為是眾生故、而起大悲心。我始坐道場,觀樹亦經行, 於三七日中,思惟如是事。我所得智慧,微妙最第一。 眾生諸根鈍,著樂癡所盲,如斯之等類,云何而可度, 爾時諸梵王,及諸天帝釋、護世四天王,及大自在天, 並餘諸天眾、眷屬百千萬,恭敬合掌禮,請我轉法輪。 我即自思惟,若但讚佛乘,眾生沒在苦,不能信是法, 破法不信故,墜於三惡道。我寧不說法,疾入於涅槃。 尋念過去佛、所行方便力,我今所得道,亦應說三乘。 作是思惟時,十方佛皆現,梵音慰喻我,善哉釋迦文, 第一之導師,得是無上法,隨諸一切佛、而用方便力。 我等亦皆得,最妙第一法,為諸眾生類、分別說三乘。 少智樂小法,不自信作佛,是故以方便、分別說諸果。 雖復說三乘,但為教菩薩。舍利弗當知,我聞聖師子、 深淨微妙音,喜稱南無佛。復作如是念,我出濁惡世, 如諸佛所說,我亦隨順行。思惟是事已,即趨波羅奈, 諸法寂滅相,不可以言宣。以方便力故,為五比丘說。 是名轉法輪,便有涅槃音,及以阿羅漢,法僧差別名。
新字:見六道衆生,貧窮無福慧,入生死険道,相続苦不断, 深著於五欲,如犛牛愛尾、以貪愛自弊,盲瞑無所見。 不求大勢仏、及与断苦法,深入諸邪見,以苦欲捨苦。 為是衆生故、而起大悲心。我始坐道場,観樹亦経行, 於三七日中,思惟如是事。我所得智慧,微妙最第一。 衆生諸根鈍,著楽痴所盲,如斯之等類,云何而可度, 爾時諸梵王,及諸天帝釈、護世四天王,及大自在天, 並余諸天衆、眷属百千万,恭敬合掌礼,請我転法輪。 我即自思惟,若但讃仏乗,衆生没在苦,不能信是法, 破法不信故,墜於三悪道。我寧不説法,疾入於涅槃。 尋念過去仏、所行方便力,我今所得道,亦応説三乗。 作是思惟時,十方仏皆現,梵音慰喩我,善哉釈迦文, 第一之導師,得是無上法,随諸一切仏、而用方便力。 我等亦皆得,最妙第一法,為諸衆生類、分別説三乗。 少智楽小法,不自信作仏,是故以方便、分別説諸果。 雖復説三乗,但為教菩薩。舎利弗当知,我聞聖師子、 深浄微妙音,喜称南無仏。復作如是念,我出濁悪世, 如諸仏所説,我亦随順行。思惟是事已,即趨波羅奈, 諸法寂滅相,不可以言宣。以方便力故,為五比丘説。 是名転法輪,便有涅槃音,及以阿羅漢,法僧差別名。
書き下し
六道の衆生の、貧窮にして福慧無く、生死の険道に入りて、相続して苦断えざるを見る。 深く五欲に著すること、犛牛の尾を愛するが如く、貪愛を以て自ら弊れ、盲瞑にして見る所無し。 大勢の仏、及び苦を断つ法を求めず、深く諸の邪見に入りて、苦を以て苦を捨てんと欲す。 是の衆生の為の故に、大悲心を起こせり。我始め道場に坐し、樹を観、亦経行して、 三七日の中に於いて、是の如き事を思惟しき。我が得る所の智慧は、微妙にして最第一なり。 衆生の諸根は鈍にして、楽に著し癡に盲いらる。斯の如きの等類を、云何にしてか度す可き、と。 爾の時、諸の梵王、及び諸の天帝釈、護世の四天王、及び大自在天、 並びに余の諸天衆、眷属百千万、恭敬し合掌して礼し、我に法輪を転ぜんことを請えり。 我即ち自ら思惟すらく、若し但仏乗を讃めば、衆生は苦に没在して、是の法を信ずること能わず、 法を破して信ぜざるが故に、三悪道に墜ちん。我寧ろ法を説かずして、疾く涅槃に入らんと。 尋いで過去仏の、行ずる所の方便力を念うに、我が今得る所の道も、亦応に三乗を説くべし、と。 是の思惟を作せし時、十方の仏皆現れ、梵音もて我を慰喩したまわく、善きかな、釈迦文、 第一の導師、是の無上の法を得て、諸の一切の仏に随いて、方便力を用う。 我等も亦皆、最妙第一の法を得て、諸の衆生類の為に、分別して三乗を説く。 少智は小法を楽い、自ら仏と作ることを信ぜず。是の故に方便を以て、分別して諸果を説く。 復三乗を説くと雖も、但菩薩を教えんが為なり。舎利弗当に知るべし、我聖師子の、 深く浄く微妙なる音を聞き、喜びて南無仏と称え、復是の如き念を作せり、我濁悪の世に出でたり、 諸仏の説きたまう所の如く、我も亦随順して行ぜん、と。是の事を思惟し已りて、即ち波羅奈に趨き、 諸法寂滅の相は、言を以て宣ぶ可からず。方便力を以ての故に、五比丘の為に説けり。 是を転法輪と名づく。便ち涅槃の音、及以び阿羅漢、法僧の差別の名有り。
現代語訳
六道の衆生が貧しく、福と智慧に欠け、生死の険しい道に入って、苦しみが絶え間なく続いているのを見ました。深く五欲に執着することは、ヤクが自分の尾を愛するようなもので、貪りと愛着によって自ら身を損ない、目が暗く何も見えません。大いなる力を持つ仏を求めず、苦を断つ法も求めず、深く誤った見解に入り込み、苦しみによって苦しみを捨てようとしています。このような衆生のために、私は大いなる慈悲の心を起こしました。私は初め、道場に坐し、樹を見つめ、また歩きながら、三七日(二十一日)の間、このことを考え続けました。私が得た智慧は、微妙で最高のものです。しかし衆生は能力が鈍く、楽しみに執着して愚かさに目をふさがれています。このような者たちを、どのようにして救えばよいのか、と。そのとき、梵天王たち、帝釈天をはじめとする諸天、世界を守る四天王、大自在天、そのほかの天衆とその眷属が百千万、うやうやしく合掌して礼拝し、私に法輪を転じる(法を説く)ことを願いました。私はそこで自ら考えました。もし仏乗だけをほめたたえたなら、衆生は苦に沈んでこの法を信じることができず、法を破り信じないために三悪道に堕ちるだろう。ならばいっそ法を説かずに、すぐ涅槃に入ってしまおうか、と。やがて過去の仏たちが用いた方便の力を思い出し、私が今得た道も、同じく三乗を説くべきだと考えました。こう思ったとき、十方の仏たちがみな現れ、梵天の声で私を慰め、励ましてこう言われました。よきかな、釈迦牟尼よ、第一の導師よ、この無上の法を得て、すべての仏に従い、方便の力を用いなさい。私たちもまた、最も妙なる第一の法を得て、さまざまな衆生のために、分けて三乗を説いたのです。智慧の少ない者は小さな法を好み、自分が仏になれるとは信じません。だから方便をもって、さまざまな悟りの段階を分けて説くのです。三乗を説くといっても、それは本当は菩薩を教えるためです。舎利弗よ、知りなさい。私は聖なる獅子たち(諸仏)の深く清らかで微妙な声を聞き、喜んで南無仏と唱え、さらにこう思いました。私は濁り悪しき世に出たのだ。諸仏の説かれたとおり、私もまた従って行おう、と。このことを考え終えて、すぐに波羅奈(ヴァーラーナシー)へ赴きました。諸法が寂滅した相は言葉では説き示せないものですが、方便の力によって、五人の比丘のために説きました。これを法輪を転じることと名づけます。そこから涅槃という言葉、阿羅漢、そして法・僧という区別の名が生まれました。
解説

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