法華経 / 方便品第二(10)
終不以小乘、濟度於眾生。佛自住大乘,如其所得法、 定慧力莊嚴,以此度眾生。自證無上道,大乘平等法, 若以小乘化、乃至於一人,我則墮慳貪,此事為不可。 若人信歸佛,如來不欺誑,亦無貪嫉意,斷諸法中惡。 故佛於十方,而獨無所畏。我以相嚴身,光明照世間, 無量眾所尊,為說實相印。舍利弗當知,我本立誓願, 欲令一切眾、如我等無異。如我昔所願,今者已滿足, 化一切眾生,皆令入佛道。若我遇眾生,盡教以佛道, 無智者錯亂,迷惑不受教。我知此眾生,未曾修善本, 堅著於五欲,癡愛故生惱。以諸欲因緣,墜墮三惡道, 輪迴六趣中,備受諸苦毒,受胎之微形,世世常增長。 薄德少福人,眾苦所逼迫,入邪見稠林,若有若無等。 依止此諸見,具足六十二,深著虛妄法,堅受不可捨, 我慢自矜高,諂曲心不實,於千萬億劫、不聞佛名字, 亦不聞正法,如是人難度。是故舍利弗,我為設方便, 說諸盡苦道,示之以涅槃。我雖說涅槃,是亦非真滅, 諸法從本來,常自寂滅相。佛子行道已,來世得作佛, 我有方便力,開示三乘法。一切諸世尊,皆說一乘道, 今此諸大眾,皆應除疑惑,諸佛語無異,唯一無二乘。 過去無數劫,無量滅度佛,百千萬億種,其數不可量。
新字:終不以小乗、済度於衆生。仏自住大乗,如其所得法、 定慧力荘厳,以此度衆生。自証無上道,大乗平等法, 若以小乗化、乃至於一人,我則堕慳貪,此事為不可。 若人信帰仏,如来不欺誑,亦無貪嫉意,断諸法中悪。 故仏於十方,而独無所畏。我以相厳身,光明照世間, 無量衆所尊,為説実相印。舎利弗当知,我本立誓願, 欲令一切衆、如我等無異。如我昔所願,今者已満足, 化一切衆生,皆令入仏道。若我遇衆生,尽教以仏道, 無智者錯乱,迷惑不受教。我知此衆生,未曽修善本, 堅著於五欲,痴愛故生悩。以諸欲因縁,墜堕三悪道, 輪迴六趣中,備受諸苦毒,受胎之微形,世世常增長。 薄徳少福人,衆苦所逼迫,入邪見稠林,若有若無等。 依止此諸見,具足六十二,深著虚妄法,堅受不可捨, 我慢自矜高,諂曲心不実,於千万億劫、不聞仏名字, 亦不聞正法,如是人難度。是故舎利弗,我為設方便, 説諸尽苦道,示之以涅槃。我雖説涅槃,是亦非真滅, 諸法従本来,常自寂滅相。仏子行道已,来世得作仏, 我有方便力,開示三乗法。一切諸世尊,皆説一乗道, 今此諸大衆,皆応除疑惑,諸仏語無異,唯一無二乗。 過去無数劫,無量滅度仏,百千万億種,其数不可量。
書き下し
終に小乗をもって、衆生を済度せず。仏、自ら大乗に住し、其の得たまえる所の法の如く、 定慧の力をもって荘厳し、此れを以て衆生を度す。自ら無上道、大乗平等の法を証し、 若し小乗をもって化すること、乃至一人にもせば、我れ則ち慳貪に堕さん、此の事は不可なり。 若し人、信じて仏に帰すれば、如来は欺誑せず、亦た貪嫉の意も無く、諸法の中の悪を断ず。 故に仏は十方に於いて、独り畏るる所無し。我れ相をもって身を厳り、光明、世間を照らす。 無量の衆に尊ばるる所にして、為に実相の印を説く。舎利弗当に知るべし、我れ本と誓願を立てて、 一切の衆をして、我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す。我が昔の願の如きは、今者已に満足せり、 一切の衆生を化して、皆な仏道に入らしむ。若し我れ衆生に遇わば、尽く教うるに仏道をもってすれども、 無智の者は錯乱して、迷惑して教えを受けず。我れ此の衆生の、未だ曾て善本を修せず、 堅く五欲に著し、癡愛の故に悩みを生ずるを知る。諸欲の因縁をもって、三悪道に墜堕し、 六趣の中に輪廻して、備に諸の苦毒を受く。胎に受けたる微形は、世世に常に増長し、 薄徳少福の人は、衆苦に逼迫せられ、邪見の稠林に入り、有若しは無等と、 此の諸見に依止して、六十二を具足す。深く虚妄の法に著し、堅く受けて捨つべからず、 我慢自ら矜高に、諂曲にして心不実なり。千万億劫に於いて、仏の名字を聞かず、 亦た正法を聞かず。是くの如き人は度し難し。是の故に舎利弗、我れ為に方便を設け、 諸の苦を尽くす道を説き、之に示すに涅槃をもってす。我れ涅槃を説くと雖も、是れも亦た真の滅に非ず、 諸法は本より来、常に自ら寂滅の相なり。仏子、道を行じ已りて、来世に作仏することを得ん。 我に方便力有り、三乗の法を開示す。一切の諸の世尊は、皆な一乗の道を説きたもう。 今、此の諸の大衆は、皆な応に疑惑を除くべし。諸仏の語は異なること無く、唯だ一にして二乗無し。 過去の無数劫、無量の滅度の仏、百千万億種にして、其の数、量るべからず。
現代語訳
結局、小乗によって衆生を救うことはしません。仏は自ら大乗に住し、得られた法のとおりに、 禅定と智慧の力で荘厳し、これによって衆生を救います。自らこの上ない道、大乗の平等の法を証し、 もし小乗で教え導くなら、たった一人に対してであっても、私は貪りに堕ちることになります。そのようなことはあってはなりません。 もし人が信じて仏に帰依するなら、如来は欺くことはなく、貪りや妬みの心もなく、諸法の中の悪を断っています。 だから仏は十方において、ただ一人、畏れるところがありません。私は相好によって身を飾り、光明は世間を照らします。 無数の大衆に尊ばれ、そのために実相の印を説きます。舎利弗よ、知りなさい。私は初めに誓願を立てました。 すべての衆生を、私と同じにして、異なることがないようにしたい、と。私の昔の願いは、いま満たされました。 すべての衆生を教え導いて、みな仏道に入らせます。もし私が衆生に会えば、すべてに仏道を教えますが、 智慧のない者は混乱し、迷って教えを受けません。私はこの衆生が、これまで善の根を修めず、 五欲に堅く執着し、愚かな愛のために悩みを生じているのを知っています。さまざまな欲の因縁によって、三悪道に落ち、 六道の中を輪廻して、あらゆる苦しみと毒を受けます。胎に宿った小さな形は、世々に常に大きくなり、 徳が薄く福の少ない人は、多くの苦に迫られ、誤った見方の濃い林に入ります。有るとか無いとかの見方に、 これらの見方に頼って、六十二の見解を具えます。深く虚妄の法に執着し、固く受け入れて捨てることができません。 我慢して自ら高ぶり、へつらい曲がって心は真実でありません。千万億劫のあいだ、仏の名を聞かず、 正法も聞きません。このような人は救いがたいのです。だから舎利弗よ、私は彼らのために方便を設けて、 もろもろの苦を尽くす道を説き、涅槃を示しました。私は涅槃を説きましたが、それも本当の滅ではありません。 諸法は本来、常に自ずから寂滅の相です。仏子は道を行じ終えて、来世に仏となることができます。 私には方便の力があり、三乗の法を開き示しました。すべての世尊は、みな一乗の道を説かれます。 いま、この多くの大衆は、みな疑いを除くべきです。諸仏の言葉に違いはなく、ただ一つであり、二乗はありません。 過去の数えきれない劫に、無数の滅度した仏がおられ、百千万億種で、その数ははかることができません。
解説

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法華経・方便品第二(2)世雄は量るべからず、諸天及び世人、一切衆生の類、能く仏を知る者無し。 仏の力、無所畏、解脱、諸の三昧、及び仏の諸の余の法、能く測量する者無し。 本と無数の仏に従いて、具足して諸の道を行じ、甚深微妙の法は、見難く了すべきこと難し。 無量億劫に於いて、此の諸の道を行じ已りて、道場に果を成ずることを得、我れ已に悉く知見せり。 是くの如き大果報、種種の性相の義は、我れ及び十方の仏のみ、乃ち能く是の事を知る。 是の法は示すべからず、言辞の相寂滅す。諸余の衆生の類は、能く解することを得る者有ること無し、 諸の菩薩衆の、信力堅固なる者を除く。諸仏の弟子衆の、曾て諸仏を供養し、 一切の漏已に尽き、是の最後身に住せる、是くの如き諸人等も、其の力の堪えざる所なり。 仮使い世間に満てるもの、皆な舎利弗の如くにして、尽く思いて共に度量するも、仏智を測ること能わじ。 正使い十方に満てるもの、皆な舎利弗の如く、及び余の諸の弟子も、亦た十方の刹に満ちて、 尽く思いて共に度量するも、亦復た知ること能わじ。辟支仏の利智、無漏の最後身も、 亦た十方界に満ちて、其の数、竹林の如くならんも、斯れ等、一心を共にして、億無量劫に於いて、 仏の実智を思わんと欲するも、少分をも知ること能わじ。新発意の菩薩の、無数の仏を供養し、 諸の義趣を了達し、又た能く善く法を説くもの、稲・麻・竹・葦の如く、十方の刹に充満し、 一心に妙智を以て、恒河沙劫に於いて、咸な皆な共に思量するも、仏智を知ること能わじ。 不退の諸の菩薩の、其の数恒沙の如く、一心に共に思い求むるも、亦復た知ること能わじ。 又た舎利弗に告ぐ、無漏不思議の、甚深微妙の法を、我れ今已に具に得たり、 唯だ我のみ是の相を知る、十方の仏も亦た然り。舎利弗当に知るべし、諸仏の語は異なること無し、 仏の所説の法に於いて、当に大信力を生ずべし。世尊の法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし。 諸の声聞衆、及び縁覚乗を求むる者に告ぐ、我れ苦縛を脱して、涅槃を逮得せしむる者は、 仏は方便力を以て、三乗の教を示す。衆生処処に著するを、之を引きて出ずることを得しむ。
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