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抱朴子外篇 / 自敘

未若修鬆喬之道,在我而已,不由於人焉。將登名山,服食養性。非有廢也,事不兼濟,自非絕棄世務,則曷緣修習玄靜哉?且知之誠難,亦不得惜問而與人議也。是以車馬之跡,不經貴勢之域;片字之書,不交在位之家。又士林之中,雖不可出,而見造之賓,意不能拒,妨人所作,不得專一,乃嘆曰:「山林之中無道也。而古之修道者,必入山林者,誠欲以違遠讙嘩,使心不亂也。今將遂本志,委桑梓,適嵩岳,以尋方平梁公之軌。」

新字:未若修鬆喬之道,在我而已,不由於人焉。将登名山,服食養性。非有廃也,事不兼済,自非絶棄世務,則曷縁修習玄静哉?且知之誠難,亦不得惜問而与人議也。是以車馬之跡,不経貴勢之域;片字之書,不交在位之家。又士林之中,雖不可出,而見造之賓,意不能拒,妨人所作,不得専一,乃嘆曰:「山林之中無道也。而古之修道者,必入山林者,誠欲以違遠讙嘩,使心不乱也。今将遂本志,委桑梓,適嵩岳,以尋方平梁公之軌。」

書き下し

未だ松喬の道を修むるに若かず、我に在るのみにして、人に由らず。将に名山に登りて、服食して性を養わんとす。廃する有るに非ざるも、事は兼ね済わず、自ら世務を絶棄するに非ざれば、則ち曷に縁りて玄静を修習せん。且つ之を知ること誠に難く、亦た問うことを惜しみて人と議するを得ず。是を以て車馬の跡は、貴勢の域を経ず、片字の書は、在位の家に交わらず。又た士林の中は、出づ可からずと雖も、而れども造らるる賓、意に拒む能わず、人の作す所を妨げ、専一なるを得ず。乃ち嘆じて曰く、「山林の中に道無きなり。而れども古の道を修むる者は、必ず山林に入るは、誠に以て讙嘩を違遠し、心をして乱れざらしめんと欲すればなり。今将に本志を遂げ、桑梓を委ね、嵩岳に適き、以て方平・梁公の軌を尋ねんとす」と。

現代語訳

赤松子や王子喬の道を修めるにはおよばず、それは自分にあるだけで、人によらない。名山に登って、服食して性を養おうとする。これは世を廃するわけではないが、事は兼ねて成り立たず、自ら世の務めを絶ち捨てなければ、何によって玄静を修習できようか。そもそも、これを知ることはまことに難しく、問うことを惜しんで人と議論することもできない。そのため車馬の跡は、貴勢の領域を通らず、わずかな文字の書も、在位の家と交わさない。また士林の中では、出ていけないものの、訪れる客を心では拒めず、人の作業を妨げ、専一であることができない。そこで嘆いて言った。「山林の中に道があるのではない。しかし古の道を修める者が必ず山林に入るのは、まことに喧噪を遠ざけて、心を乱れさせないためである。今、本来の志を遂げ、郷里を離れ、嵩山に行って、王方平・梁公の足跡を尋ねよう」と。

解説

世俗の務めと道を修めることは「事は兼ね済わず」、両立しないと見切って、山に入る決意を述べる段です。「山林の中に道無し」と言い切るのが面白く、山に道があるのではなく、「讙嘩を違遠し、心をして乱れざらしめん」ための環境だという位置づけです。つまり場所は目的でなく、心を乱されない条件を整える手段として語られます。現代の仕事でも、集中して取り組む環境を整えるために、付き合いや通知を絞ることがありますが、その本質を言い当てています。

この章句が説くこと

山林の中に道無きなり讙嘩を違遠し心をして乱れざらしめん事は兼ね済わず集中環境

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