抱朴子外篇 / 自敘
洪尤疾無義之人,不勤農桑之本業,而慕非義之奸利。持鄉論者,則賣選舉以取謝;有威勢者,則解符疏以索財。或有罪人之賂,或枉有理之家。或為逋逃之藪,而饗亡命之人;或挾使民丁,以妨公役;或強收錢物,以求貴價;或占錮市肆,奪百姓之利;或割人田地,劫孤弱之業。惚恫官府之間,以窺掊剋之益,內以誇妻妾,外以釣名位。其如此者,不與交焉。由是俗人憎洪疾己,自然疏絕,故巷無車馬之跡,堂無異志之賓,庭可設雀羅,而几筵積塵焉。
新字:洪尤疾無義之人,不勤農桑之本業,而慕非義之奸利。持郷論者,則売選舉以取謝;有威勢者,則解符疏以索財。或有罪人之賂,或枉有理之家。或為逋逃之藪,而饗亡命之人;或挟使民丁,以妨公役;或強収銭物,以求貴価;或占錮市肆,奪百姓之利;或割人田地,劫孤弱之業。惚恫官府之間,以窺掊剋之益,内以誇妻妾,外以釣名位。其如此者,不与交焉。由是俗人憎洪疾己,自然疏絶,故巷無車馬之跡,堂無異志之賓,庭可設雀羅,而几筵積塵焉。
書き下し
洪は尤も無義の人を疾む。農桑の本業に勤めず、非義の奸利を慕う。郷論を持する者は、選挙を売りて以て謝を取り、威勢有る者は、符疏を解きて以て財を索む。或いは罪人の賂有り、或いは理有るの家を枉ぐ。或いは逋逃の薮と為り、亡命の人を饗す。或いは民丁を挟み使いて、以て公役を妨ぐ。或いは強いて銭物を収め、以て貴価を求む。或いは市肆を占錮し、百姓の利を奪う。或いは人の田地を割き、孤弱の業を劫す。官府の間を惚恫して、以て掊剋の益を窺い、内は以て妻妾に誇り、外は以て名位を釣る。其の此くの如き者は、与に交わらず。是に由りて俗人は洪を憎む、己を疾むなり、自然に疏絶す。故に巷に車馬の跡無く、堂に異志の賓無く、庭は雀羅を設く可く、而して几筵に塵を積む。
現代語訳
私は特に義のない人を憎む。農業や養蚕の本業に励まず、不義の悪利を慕う。郷里の評論を握る者は、推挙を売って謝礼を取り、威勢のある者は、符や上書を解いて財を求める。罪人から賄賂を受け、道理のある家を曲げる者もいる。逃亡者の巣窟となって、亡命者を養う者もいる。民の働き手を自分に抱えて、公の労役を妨げる者もいる。無理に金品を取り立てて、高値を求める者もいる。市の店を占拠して、民の利益を奪う者もいる。人の田地を割いて、孤児や弱い者の生業を奪う者もいる。官府の間を恐喝して、掠め取る利益をうかがい、内では妻妾に誇り、外では名位を釣る。このような者とは、交際しない。そのため世俗の人は私を憎み、自分を嫌っているとして、自然に疎遠となった。だから路地に車馬の跡はなく、広間に異志の客はおらず、庭には雀を捕る網を張れるほどで、机や敷物には塵が積もっている。
解説
この章句が説くこと
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