易経 / 蒙卦
利用刑人,以正法也。 子克家,剛柔接也。 勿用取女,行不順也。 困蒙之吝,獨遠實也。 童蒙之吉,順以巽也。 利禦寇,上下順也。
新字:利用刑人,以正法也。 子克家,剛柔接也。 勿用取女,行不順也。 困蒙之吝,独遠実也。 童蒙之吉,順以巽也。 利禦寇,上下順也。
書き下し
用て人を刑するに利ろしとは、以て法を正すなり。子家を克くすとは、剛柔接わるなり。用て女を取る勿かれとは、行い順ならざるなり。蒙に困しむの吝は、独り実に遠ざかればなり。童蒙の吉は、順にして以て巽なればなり。寇を禦ぐに利ろしとは、上下順なるなり。
現代語訳
「罰すべき人は罰するのがよい」とは、それによって法を正すことである。「子が家を立派に治める」とは、剛と柔とがうまく交わることである。「このような女を娶ってはならない」とは、その行いが道に順っていないからである。「蒙のままで苦しんで恥をかく」とは、ただ一人、充実した陽から遠く離れているからである。「幼く素直な者で吉」とは、素直に従い、へりくだるからである。「害を防ぐのがよい」とは、上も下も道に順うことである。
解説
蒙の爻辞に付けられた象伝で、教え導く手だてに理由を添えています。刑を用いるのは罰するためではなく「以て法を正すなり」、つまり筋道を正すためだとします。六四が蒙のまま苦しむのは「独り実に遠ざかればなり」、ただ一人、充実した陽から遠く離れているからだという指摘は、よい師や仲間から離れて孤立することの害をいいます。学ぶ人を伸ばすには、規律を正すことと、力のある人のそばに置くことの両方が要ります。育成の場で、誰かを孤立させていないか見直したいものです。
この章句が説くこと
教育孤立規律師
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史記 田敬仲完世家十四年、秦我が剛寿を撃つ。十九年、襄王卒し、子建立つ。王建立ちて六年、秦趙を攻む。斉・楚之を救ふ。秦計りて曰く、「斉・楚趙を救ふ。親しまば則ち兵を退け、親しまずんば遂に之を攻めん」と。趙食無く、粟を斉に請ふ。斉聴かず。周子曰く、「之を聴きて以て秦の兵を退くるに如かず。聴かずんば則ち秦の兵卻かず。是れ秦の計中りて斉・楚の計過つなり。且つ趙の斉・楚に於けるや、捍蔽なり。猶ほ歯の脣有るがごとし。脣亡ぶれば則ち歯寒し。今日趙を亡ぼさば、明日患ひ斉・楚に及ばん。且つ趙を救ふの務めは、宜しく漏甕を奉じて焦釜に沃ぐが若くすべし。夫れ趙を救ふは、高義なり。秦の兵を卻くるは、顕名なり。義もて亡国を救ひ、威もて彊秦の兵を卻く。此を為すを務めずして粟を愛しむを務むるは、国の為に計る者過てり」と。斉王聴かず。秦趙を長平に破ること四十余万、遂に邯鄲を囲む。十六年、秦周を滅ぼす。君王后卒す。二十三年、秦東郡を置く。二十八年、王入りて秦に朝す。秦王政酒を咸陽に置く。三十五年、秦韓を滅ぼす。三十七年、秦趙を滅ぼす。三十八年、燕荊軻をして秦王を刺さしむ。秦王覚り、軻を殺す。明年、秦燕を破る。燕王亡げて遼東に走る。明年、秦魏を滅ぼす。秦の兵歴下に次る。四十二年、秦楚を滅ぼす。明年、代王嘉を虜にし、燕王喜を滅ぼす。四十四年、秦の兵斉を撃つ。斉王相后勝の計を聴き、戦はずして、兵を以て秦に降る。秦王建を虜にし、之を共に遷す。遂に斉を滅ぼして郡と為す。天下壱に秦に并せられ、秦王政号を立てて皇帝と為る。始め、君王后賢にして、秦に事ふること謹み、諸侯と信あり。斉も亦東のかた海上に辺す。秦日夜三晋・燕・楚を攻め、五国各々自ら秦より救ふ。故を以て王建立ちて四十余年兵を受けず。
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