学問のすゝめ / 十六編・心事と働きと相当すべきの論・みだりに人を軽蔑する者は
また心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立することあり。己が働きと他人の働きとを比較すればもとより及ぶべきにあらざれども、己が心事をもって他の働きを見れば、これに満足すべからずして、おのずから私に軽蔑の念なきを得ず。みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免るべからず。互いに相不平をいだき、互いに相蔑視して、ついには変人奇物の嘲りを取り、世間に歯すべからざるに至るものなり。今日世の有様を見るにあるいは傲慢不遜にして人に厭わるる者あり、あるいは人に勝つことを欲して人に厭わるる者あり、あるいは人に多を求めて人に厭わるる者あり、あるいは人を誹謗して人に厭わるる者あり。いずれもみな人に対して比較するところを失い、己が高尚なる心事をもって標的となし、これに照らすに他の働きをもってして、その際に恍惚たる想像を造り、もって人に厭わるるの端を開き、ついにみずから人を避けて独歩孤立の苦界に陥る者なり。
書き下し
また心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立することあり。己が働きと他人の働きとを比較すればもとより及ぶべきにあらざれども、己が心事をもって他の働きを見れば、これに満足すべからずして、おのずから私に軽蔑の念なきを得ず。みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免るべからず。互いに相不平をいだき、互いに相蔑視して、ついには変人奇物の嘲りを取り、世間に歯すべからざるに至るものなり。今日世の有様を見るにあるいは傲慢不遜にして人に厭わるる者あり、あるいは人に勝つことを欲して人に厭わるる者あり、あるいは人に多を求めて人に厭わるる者あり、あるいは人を誹謗して人に厭わるる者あり。いずれもみな人に対して比較するところを失い、己が高尚なる心事をもって標的となし、これに照らすに他の働きをもってして、その際に恍惚たる想像を造り、もって人に厭わるるの端を開き、ついにみずから人を避けて独歩孤立の苦界に陥る者なり。
現代語訳
また心事が高尚で働きに乏しい者は、人に嫌われて孤立することがあります。自分の働きと他人の働きを比べればもとより及ぶはずもないのに、自分の心事で他人の働きを見れば、これに満足できず、自然と密かに軽蔑の念を抱かずにいられません。むやみに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免れません。互いに不平を抱き、互いに蔑み合って、ついには変人奇物の嘲りを受け、世間に並べないに至るものです。今日の世のありさまを見ると、傲慢で人に嫌われる者があり、人に勝とうとして嫌われる者があり、人に多くを求めて嫌われる者があり、人を誹謗して嫌われる者があります。いずれもみな人に対して比べる基準を誤り、自分の高尚な心事を的として、そこに他人の働きを照らし、その間にうっとりした想像を作り上げ、人に嫌われる糸口を開いて、ついに自ら人を避けて独り歩く苦しい境地に陥る者です。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』兼愛下且つ鄉に吾が本と言えらく、仁人の事は、必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むと。今、吾れ兼の天下の大利を生ずる所を本原し、吾れ别の天下の大害を生ずる所を本原せり。是の故に子墨子曰く、别は非にして兼は是なる者は、若の方より出づるなり。今、吾れ將に正しく天下の利を興すを求めて之を取らんとし、兼を以て正と為す。是を以て聰き耳、明るき目、相い為に視聴せんか。是を以て股肱の勇强、相い為に動宰せんか。而して道有れば肆に相い教誨せん。是を以て老いて妻子無き者は、侍養して以て其の夀を終うる所有り、幼弱孤童の父母無き者は、放依して以て其の身を長ずる所有り。今、唯だ兼を以て正と為す毋くんば、即ち其の利の若きなり。識らず、天下の士の皆な兼を聞きて非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。