抱朴子外篇 / 自敘
恆復不周,每見譏責於論者。洪引咎而不恤也。意苟無余,而病使心違,顧不愧己而已,亦何理於人之不見亮乎?唯明鑒之士,乃恕其信抱朴,非以養高也。世人多慕豫親之好,推暗室之密,洪以為知人甚未易,上聖之所難。浮雜之交,口合神離,無益有損。雖不能如朱公叔一切絕之,且必須清澄詳悉,乃處意焉。又為此見憎者甚衆而不改也。馳逐苟達,側立勢門者,又共疾洪之異於己,而見疵毀,謂洪為傲物輕俗。而洪之為人,信心而行,毀譽皆置於不聞。
新字:恒復不周,毎見譏責於論者。洪引咎而不恤也。意苟無余,而病使心違,顧不愧己而已,亦何理於人之不見亮乎?唯明鑒之士,乃恕其信抱朴,非以養高也。世人多慕予親之好,推暗室之密,洪以為知人甚未易,上聖之所難。浮雑之交,口合神離,無益有損。雖不能如朱公叔一切絶之,且必須清澄詳悉,乃処意焉。又為此見憎者甚衆而不改也。馳逐苟達,側立勢門者,又共疾洪之異於己,而見疵毀,謂洪為傲物軽俗。而洪之為人,信心而行,毀誉皆置於不聞。
書き下し
恒に復た周からず、毎に論者に譏責せらる。洪は咎を引きて恤えず。意は苟くも余す無く、病の為に心に違うも、顧みて己に愧じざるのみ。亦た何ぞ人の亮とせざるを理めんや。唯だ明鑒の士のみ、乃ち其の信に抱朴にして、以て高きを養うに非ざるを恕す。世人は多く親しみを豫ぶるの好みを慕い、暗室の密を推すも、洪は以為えらく、人を知ること甚だ易からず、上聖の難しとする所なり。浮雑の交わりは、口は合いて神は離れ、益無くして損有り。朱公叔の一切に之を絶つが如きこと能わずと雖も、且つ必ず清澄し詳悉して、乃ち意に処す。又た此が為に憎まるる者は甚だ衆きも改めず。馳逐して苟くも達し、勢門に側立する者は、又た共に洪の己に異なるを疾み、疵毀せられ、洪を謂いて物に傲り俗を軽んずと為す。而れども洪の人と為りは、心を信じて行い、毀誉は皆聞かざるに置く。
現代語訳
いつも行き届かず、そのたびに論者に責められた。私は咎を自分で引き受け、気にかけなかった。心に余すところはなく、病のために志と違っても、顧みて自分に恥じなければよい。人が許してくれないことを、どうして気に病もうか。ただ明鑑の士だけが、私が本当に質朴であり、高ぶりを養うためではないことを許してくれる。世の人は多く、親しみを交わす好みを慕い、暗室の密を推すが、私は、人を知ることは極めて易しくなく、上聖でも難しいことだと考える。浮ついた交わりは、口は合っても心は離れ、益がなく損がある。朱公叔のようにすべてを絶つことはできないが、必ず澄ませて詳しく調べたうえで、心を置く。またこのために憎む者は非常に多いが、改めなかった。奔走してかりそめに栄達し、権勢の門に控える者は、また共に私が自分と異なるのを憎み、あげつらって、私が人に傲り俗を軽んじていると言う。しかし私の人となりは、心を信じて行い、毀誉はすべて聞かないことにしている。
解説
この章句が説くこと
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