抱朴子外篇 / 詰鮑
夫明王在上,群後盡規,坐以待旦,昧朝旰食,延誹謗以攻過,責昵屬之補察,聽輿謠以屬省,鑒履尾而夕惕,飏清風以埽穢,厲秋威以肅物,制峻網密,有犯無赦,刑戮以懲小罪,九伐以討大憝,猶豺狼之當路,感彜倫之不敘,憂作威之兇家,恐奸宄之害國。故嚴司鷹揚以彈違,虎臣杖鋮於方嶽,而狂狡之變,莫世乏之,而令放之,使無所憚,則盜跖將橫行以掠殺,而良善端拱以待禍,無主所訴,無強所憑,而冀家為夷齊,人皆柳惠,何異負豕而欲無臭,憑河而欲不濡,無轡篋而禦奔馬,棄枻櫓而乘輕舟,未見其可也。」
新字:夫明王在上,群後尽規,坐以待旦,昧朝旰食,延誹謗以攻過,責昵属之補察,聴輿謡以属省,鑒履尾而夕惕,飏清風以埽穢,厲秋威以粛物,制峻網密,有犯無赦,刑戮以懲小罪,九伐以討大憝,猶豺狼之当路,感彜倫之不敘,憂作威之兇家,恐奸宄之害国。故厳司鷹揚以弾違,虎臣杖鋮於方嶽,而狂狡之変,莫世乏之,而令放之,使無所憚,則盗跖将横行以掠殺,而良善端拱以待禍,無主所訴,無強所憑,而冀家為夷斉,人皆柳恵,何異負豕而欲無臭,憑河而欲不濡,無轡篋而禦奔馬,棄枻櫓而乗軽舟,未見其可也。」
書き下し
夫れ明王上に在り、群后規を尽くし、坐して旦を待ち、昧朝旰食し、誹謗を延きて以て過を攻め、昵属に補察を責め、輿謡を聴きて以て省みを属し、履尾を鑒て夕べに惕れ、清風を飏げて以て穢を埽い、秋威を厲して以て物を粛し、制は峻く網は密に、犯す有らば赦す無し。刑戮は以て小罪を懲らし、九伐は以て大憝を討つ。猶お豺狼の路に当たるがごとし、彜倫の敘ならざるに感じ、威を作す兇家を憂い、奸宄の国を害するを恐る。故に厳司は鷹揚して以て違を弾じ、虎臣は鉞を方岳に杖つ。而るに狂狡の変は、世に乏しき莫し。而るに之を放ち、憚る所無からしめば、則ち盜跖は将に横行して以て掠殺し、而して良善は端拱して以て禍を待たん。主の訴うる所無く、強の憑む所無くして、家ごとに夷斉たり人ごとに柳恵たるを冀わば、何ぞ豕を負いて臭わざるを欲し、河に憑りて濡れざるを欲し、轡篋無くして奔馬を禦ぎ、枻櫓を棄てて軽舟に乗るに異ならん。未だ其の可なるを見ざるなり」と。
現代語訳
明君が上にあれば、諸侯は規諫を尽くし、座して夜明けを待ち、朝早くから食事も遅くなるまで働き、誹謗を受け入れて過ちを正し、近親の者に補い察することを責め、民間の歌を聴いて反省に結びつけ、虎の尾を踏む思いで夕べにも慎み、清風を揚げて汚れを払い、秋の厳しさを奮って物を粛正し、制度は厳しく網は細かく、犯す者があれば赦さない。刑罰で小さな罪を懲らしめ、九伐の法で大きな悪を討つ。それは豺狼が道に立ちはだかっているようなもので、人の道が整わないことに心を痛め、威をふるう凶悪な家を憂え、悪人が国を害することを恐れる。だから厳しい官は鷹のように奮い立って違反を弾劾し、勇猛な臣は鉞を各地の山岳に杖つく。それでも狂った悪者の変事は、いつの世にも絶えない。それなのに放置して、はばかるものをなくせば、盗跖はまさに横行して掠め殺し、善良な人は手を拱いて禍を待つことになる。訴える主もなく頼る強者もなくして、家ごとに伯夷・叔斉、人ごとに柳下恵であることを願うのは、豚を背負って臭わせまいとし、大河に頼って濡れまいとし、手綱も箱もなく奔る馬を御し、舵も櫓も捨てて軽い舟に乗るのと変わらない。それが可能だとは見たことがない」と。
解説
この章句が説くこと
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史記 張釈之馮唐列伝頃之(しばらく)して、太子、梁王と車を共にして入朝し、司馬門に下りず。是に於て釈之、追ひて太子・梁王を止め、殿門に入るを得る無からしむ。遂に公門に下りざるは不敬なりと劾し、之を奏す。薄太后之を聞く。文帝冠を免ぎて謝して曰く、「児子を教ふること謹まず」と。薄太后乃ち使をして詔を承けて太子・梁王を赦さしめ、然る後に入るを得たり。文帝是に由りて釈之を奇とし、
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史記 宋微子世家宋人共に君御を殺して成公の少子杵臼を立つ。是を昭公と為す。昭公の四年、宋長翟の縁斯を長丘に敗る。七年、楚の荘王即位す。九年、昭公無道にして、国人附かず。昭公の弟鮑革賢にして士に下る。先に、襄公の夫人公子鮑に通ぜんと欲するも、可かず。乃ち之を助けて国に施さしめ、大夫華元に因りて右師と為す。昭公出でて猟す。夫人王姫衛伯をして昭公杵臼を攻め殺さしむ。弟の鮑革立つ。是を文公と為す。文公の元年、晋諸侯を率ゐて宋を伐ち、責むるに君を弑するを以てす。文公の定まりて立つを聞き、乃ち去る。二年、昭公の子文公の母弟須と武・繆・戴・荘・桓の族とに因りて乱を為す。文公尽く之を誅し、武・繆の族を出す。四年春、楚鄭に命じて宋を伐たしむ。宋華元をして将たらしむ。鄭宋を敗り、華元を囚ふ。華元の将に戦はんとするや、羊を殺して以て士に食はしむ。其の御に羊羹及ばず。故に怨み、馳せて鄭の軍に入る。故に宋の師敗れ、華元を囚ふるを得たり。宋兵車百乗・文馬四百匹を以て華元を贖ふ。未だ尽くは入らざるに、華元亡げて宋に帰る。十四年、楚の荘王鄭を囲む。鄭伯楚に降る。楚復た之を釈す。十六年、楚の使ひ宋を過ぐ。宋前の仇有り、楚の使ひを執ふ。九月、楚の荘王宋を囲む。十七年、楚宋を囲むこと五月なるを以て解けず。宋の城中急にして、食無し。華元乃ち夜私かに楚の将子反に見ゆ。子反荘王に告ぐ。王問ふ、「城中何如」と。曰く、「骨を析きて炊ぎ、子を易へて食らふ」と。荘王曰く、「誠なるかな言。我が軍も亦た二日の糧有るのみ」と。信を以ての故に、遂に兵を罷めて去る。二十二年、文公卒し、子の共公瑕立つ。始めて厚葬す。君子華元の臣ならざるを譏る。共公の十年、華元楚の将子重に善く、又晋の将欒書に善く、両つながら晋・楚に盟ふ。十三年、共公卒す。華元右師と為り、魚石左師と為る。
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