史記 / 張釈之馮唐列伝
頃之,太子與梁王共車入朝,不下司馬門,於是釋之追止太子、梁王無得入殿門。遂劾不下公門不敬,奏之。薄太后聞之,文帝免冠謝曰:「教兒子不謹。」薄太后乃使使承詔赦太子、梁王,然後得入。文帝由是奇釋之,
新字:頃之,太子与梁王共車入朝,不下司馬門,於是釈之追止太子、梁王無得入殿門。遂劾不下公門不敬,奏之。薄太后聞之,文帝免冠謝曰:「教児子不謹。」薄太后乃使使承詔赦太子、梁王,然後得入。文帝由是奇釈之,
書き下し
頃之(しばらく)して、太子、梁王と車を共にして入朝し、司馬門に下りず。是に於て釈之、追ひて太子・梁王を止め、殿門に入るを得る無からしむ。遂に公門に下りざるは不敬なりと劾し、之を奏す。薄太后之を聞く。文帝冠を免ぎて謝して曰く、「児子を教ふること謹まず」と。薄太后乃ち使をして詔を承けて太子・梁王を赦さしめ、然る後に入るを得たり。文帝是に由りて釈之を奇とし、
現代語訳
しばらくして、太子(のちの景帝)が梁王と一緒に車に乗って参内し、司馬門(宮殿の外門)で車から降りなかった。そこで張釈之は追いかけて太子と梁王を止め、宮殿の門に入れさせなかった。そして公門で下車しなかったのは不敬であると弾劾し、上奏した。薄太后(文帝の母)がこれを聞いた。文帝は冠を脱いで謝罪し、「子どもたちのしつけが行き届いていなかった」と言った。薄太后はそこで使者に詔を持たせて太子と梁王を赦させ、二人はその後ようやく入ることができた。文帝はこれによって張釈之を非凡な人物と認め、(次の段へ続く)
解説
公車令となった張釈之が、皇太子と梁王をも規則どおりに止めた場面です。宮門では車を降りるという決まりを破った二人を、相手が皇太子であっても門の中に入れず、不敬として弾劾しました。これに対して文帝は怒るどころか、母の薄太后の前で冠を脱いで「子のしつけが悪かった」と自ら謝罪しています。最終的に太后の詔で二人は赦されますが、規則を曲げずに筋を通したのは門番役の張釈之でした。規則は相手の身分によって変えてはならないこと、そしてトップが自分の身内の違反を率直に認めることで、規則を守った部下が報われることを示しています。職場のルールが役員の家族や幹部にも同じように適用されているかを問う一段です。
この章句が説くこと
法令太子を弾劾公平規律規則は身分を問わず適用張釈之
関連する章句
-
『長短経』禁令若し期会に到らず、鼓を聞きて行かず、寛に乗じて自ら留まり、迴避して止まるに務め、初め近くして後に遠く、名を喚びて応ぜず、軍甲具わらず、兵器備わらざる、此を軽軍と謂う〔此れ有る者は、之を斬る〕。令を受けて伝えず、之を伝えて審らかならず、以て吏士を惑わす。金鼓聞こえず、旌旗覩えざる、此を慢軍と謂う〔此れ有る者は、之を斬る〕。食うに糧を廩けず、軍に兵を部せず、賦賜均しからず、親しむ所に阿私し、其の物に非ざるを取り、借貸して還さず、人の頭首を奪いて、以て功名を獲る、此を盗軍と謂う〔此れ有る者は、之を斬る〕。
-
『智囊』見大・漢光武帝劉秀、大司馬たりし時、舎中の児法を犯す。軍市令の祭遵、之を格殺す。秀怒り、遵を取らしむ。主簿の陳副諫めて曰く、明公は常に衆軍の整斉を欲す。遵は法を奉じて避けず、是れ教令の行わるるなり。奈何ぞ之を罪せん、と。秀悦び、乃ち以て刺奸将軍と為し、諸将に謂いて曰く、当に祭遵を避くべし。吾が舎中の児の法を犯すも尚お之を殺す。必ず諸将を私せざるなり、と。〔馮述評〕罰必なれば則ち令行われ、令行われれば則ち主尊し。世祖の能く四方の難を定めし所以なり。
-
史記 鄭世家晋の文公、蘭を入れて太子と為さんと欲し、以て鄭に告ぐ。鄭の大夫石癸曰く、「吾聞く、姞姓は乃ち后稷の元妃なり、其の後当に興る者有るべしと。子蘭の母は其の後なり。且つ夫人の子尽く已に死し、余の庶子に蘭の賢に如くは無し。今囲み急なり。晋以て請ふを為す。利孰れか焉より大ならん」と。遂に晋に許し、与に盟ひ、卒に子蘭を立てて太子と為す。晋の兵乃ち罷め去る。四十五年、文公卒し、子蘭立つ、是を繆公と為す。繆公元年春、秦の繆公、三将をして兵を将ゐて鄭を襲はんと欲せしむ。滑に至り、鄭の賈人絃高に逢ふ。詐りて十二牛を以て軍を労ふ。故に秦の兵至らずして還る。晋之を崤に敗る。初め、往年鄭の文公の卒するや、鄭の司城繒賀、鄭の情を以て之を売る。秦の兵故に来る。三年、鄭兵を発して晋に従ひて秦を伐ち、秦の兵を汪に敗る。往年楚の太子商臣其の父成王を弑して代はりて立つ。二十一年、宋の華元と鄭を伐つ。華元羊を殺して士に食はしむるも、其の御羊斟に与へず。怒りて以て鄭に馳す。鄭華元を囚ふ。宋華元を贖ふ。元も亦亡げ去る。晋、趙穿をして兵を以て鄭を伐たしむ。霊公元年春、楚黿を霊公に献ず。子家・子公将に霊公に朝せんとす。子公の食指動く。子家に謂ひて曰く、「佗日指動けば、必ず異物を食らふ」と。入るに及び、霊公の黿の羹を進むるを見る。子公笑ひて曰く、「果たして然り」と。霊公其の笑ふ故を問ふ。具に霊公に告ぐ。霊公之を召し、独り羹を予へず。子公怒り、其の指を染め、之を嘗めて出づ。公怒り、子公を殺さんと欲す。子公、子家と先んぜんことを謀る。夏、霊公を弑す。鄭人、霊公の弟去疾を立てんと欲す。去疾譲りて曰く、「必ず賢を以てせば、則ち去疾は不肖なり。必ず順を以てせば、則ち公子堅長ず」と。堅は霊公の庶弟にして、去疾の兄なり。是に於て乃ち子堅を立つ、是を襄公と為す。襄公立ち、将に尽く繆氏を去らんとす。
-
『呻吟語』内篇・應務・身を是非の外に置く其の身を是非の外に置きて、而る後に以て是非の中を折る可し。其の身を利害の外に置きて、而る後に以て利害の變を觀る可し。
-
尉繚子・十二陵孽(げつ)は屠戮に在り、偏は私多きに在り、
-
『春秋左氏伝』僖公二十八年 侯獳、曹伯を救う晉侯疾有り。曹伯の豎侯獳(じゅこうじゅ)、筮史に貨して、曰はしめて曰く、「曹を以って解と為す。齊の桓公會を為して異姓を封じ、今君會を為して同姓を滅ぼす。曹叔振鐸は、文の昭なり。先君唐叔は、武の穆なり。且つ諸侯を合して兄弟を滅ぼすは、禮に非ざるなり。衛と偕に命じて、而して與に偕に復さざるは、信に非ざるなり。罪を同じくして罰を異にするは、刑に非ざるなり。禮は以って義を行ひ、信は以って禮を守り、刑は以って邪を正す。此の三者を舍てなば、君將に之を若何せん」と。公說び、曹伯を復し、遂に諸侯と許に會す。晉侯三行を作りて以って狄を禦ぐ。荀林父中行に將たり、屠擊右行に將たり、先蔑左行に將たり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る