抱朴子外篇 / 正郭
嵇生又曰:「林宗存為一世之所式,沒則遺芳永播。碩儒俊士,未或指點,而吾生獨評其短,無乃見嗤於將來乎!」抱樸子曰:「曷為其然哉?茍吾言之允者,當付之於後,後之識者,何恤於寡和乎?且前賢多亦譏之,獨皇生褒過耳。故太傅諸葛無遜亦曰:『林宗隱不修遁,出不益時,實欲揚名養譽而已。街談巷議以為辯,訕上謗政以為高,時俗貴之,歙然猶郭解原涉,見趨於曩時也。後進慕聲者,未能考之於聖王之典,論之於先賢之行,徒惑華名,鹹競準的,學之者如不及,談之者則盈耳,中人猶不覺,童蒙安能知?』故零陵太守殷府君伯緒,高才篤論之士也,亦曰:『林宗入交將相,出遊方國,崇私議以動眾,關毀譽於朝廷。其所善則風騰雨驟,改價易姿;
新字:嵇生又曰:「林宗存為一世之所式,没則遺芳永播。碩儒俊士,未或指点,而吾生独評其短,無乃見嗤於将来乎!」抱樸子曰:「曷為其然哉?苟吾言之允者,当付之於後,後之識者,何恤於寡和乎?且前賢多亦譏之,独皇生褒過耳。故太傅諸葛無遜亦曰:『林宗隠不修遁,出不益時,実欲揚名養誉而已。街談巷議以為弁,訕上謗政以為高,時俗貴之,歙然猶郭解原渉,見趨於曩時也。後進慕声者,未能考之於聖王之典,論之於先賢之行,徒惑華名,鹹競準的,学之者如不及,談之者則盈耳,中人猶不覚,童蒙安能知?』故零陵太守殷府君伯緒,高才篤論之士也,亦曰:『林宗入交将相,出遊方国,崇私議以動衆,関毀誉於朝廷。其所善則風騰雨驟,改価易姿;
書き下し
嵇生又た曰く、「林宗は存して一世の式と為り、没して遺芳永く播まる。碩儒俊士、未だ或いは指点せず、而るに吾が生のみ独り其の短を評す。無乃ち将来に嗤わるるを見んか」と。抱朴子曰く、「曷為れぞ其れ然らんや。茍も吾が言の允なる者は、当に之を後に付すべし。後の識者、何ぞ寡和を恤えんや。且つ前賢も多く亦た之を譏り、独り皇生のみ褒むること過ぐるのみ。故に太傅の諸葛無遜も亦た曰く、『林宗は隠れては遁を修めず、出でては時を益せず、実に名を揚げ誉を養わんと欲するのみ。街談巷議以て辯と為し、上を訕り政を謗りて以て高しと為す。時俗之を貴び、歙然として猶お郭解・原渉の、曩時に趨せらるるがごとし。後進の声を慕う者は、未だ之を聖王の典に考え、之を先賢の行に論ずる能わず、徒に華名に惑い、鹹な競いて準的とす。之を学ぶ者は及ばざるが如くし、之を談ずる者は則ち耳に盈つ。中人すら猶お覚らず、童蒙安くんぞ能く知らん』と。故に零陵太守の殷府君伯緒は、高才篤論の士なるも、亦た曰く、『林宗は入りては将相に交わり、出でては方国に遊び、私議を崇びて以て衆を動かし、毀誉を朝廷に関す。其の善しとする所は則ち風騰り雨驟し、価を改め姿を易え、
現代語訳
嵇生がまた言った。「林宗は生きては一世の手本となり、没しては遺された名声が永く広まっている。大儒や俊才も指摘したことがないのに、あなたひとりがその短所を論じる。将来、嘲笑されることになるのではないか」と。抱朴子は言う。「どうしてそんなことになろうか。私の言うことが正しいなら、後の世に託すべきである。後世の見識ある者は、和する者の少なさを気にしたりはしない。しかも先賢もしばしばこれを譏っており、ただ皇生だけが褒めすぎたのである。だから太傅の諸葛無遜も言っている。『林宗は、隠れては遁世の道を修めず、出ては時勢を益さず、実際には名を揚げ名誉を養おうとしたにすぎない。巷の議論を弁舌とし、上を譏り政を誹ることを高尚とした。世間はこれを貴び、こぞってなびくさまは、かつて郭解や原渉が慕われたのと同じであった。後進で名声を慕う者は、これを聖王の典籍に照らして考えたり、先賢の行いに照らして論じたりすることができず、ただ華やかな名に惑って、みな競って目標にした。学ぼうとする者は及ばないのを恐れるようにし、語る者の声は耳に満ちた。普通の人でさえ気づかないのだから、世間知らずの子どもに分かるはずがない』と。また零陵太守の殷府君伯緒は、才が高く論の確かな人だが、これも言っている。『林宗は、入っては将相と交わり、出ては諸国を遊び、私的な議論を尊んで衆を動かし、褒貶を朝廷にまで及ぼした。彼が良いとした者は風や雨のように勢いよく昇り、価値も姿も変わった。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・應務・事手に到らざれば人を責むること盡く易し今人前輩先達の事を作すに自ら振拔せざるを見て、輒ち歎恨を生ず。知らず、渠我に當たる時にも也た人を歎恨するを會すや否や。我渠に當たる時に能く後人の歎恨を免るや否や。事手に到らざれば、人を責むること盡く易し。君が手に到る時を待ちて、事事努力して輕く放過せざれば便ち好し。只だ嘵嘵として人を責むるに任せば、他日縱ひ歎恨す可き無きも、今日亦た浮薄子なり。
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